いつも共に型月作品を語りあっている皆さんが一体どんな小説・マンガ・娯楽作品を嗜んでいるのか気になってスレを立てたいと思いました。規則は特に無しある程度の範囲内なら自由に騒いでOK!本やお話などに関係あることならどんな話をしてもOKなゆるふわ空間です。名前の出てこない本の質問や本に関するクイズの出題、お題を出したり雑談したり、他の人の迷惑にならない程度なら作品の宣伝もOKです。説話や民話、ネットの小話、同人誌などもある程度はOKです。
なおR-18やBLなどちょっと読む人を選ぶもの、政治宗教などコメントが荒れやすいものは文学的な用法用量の範囲でお願いいたします。
どうぞ自由にお気軽にご利用ください!
前スレ
「型月民が愛読書とかを語る #3」
https://bbs.demonition.com/board/3691/
「型月民が愛読書とかを語る #2」
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「型月民が愛読書とかを語る」
https://bbs.demonition.com/board/3421/
関連スレ
「創作談義で盛り上がるスレ」
https://bbs.demonition.com/board/3643/
次にスレを立てるのは>>950を踏んだ人が行ってください>>1
あ、建て乙>>6
アシモフは科学者としても活動してた人だったね>>5
ジュラシックパークって化石からとったDNAを今生きている特徴の似ている生物と合体させて恐竜を産み出しているんだったかな?だから100%恐竜ではないんだよね?確か>>11
ダークタワーとかね>>10
小説版は映画版とはちょっと内容違うからなぁ~>>20
そんな意味が込められていたんだ…
時間があったらじっくり見てみようかな>>16
銀河英雄伝って物語の中で歴史が動いてる感じが面白いよね、歴史の目撃者みたいな?>>17
どれもこれもダークタワーぶっ壊した奴が悪い>>18
もうあの若い声は出せないのかなぁ>>28
これ映画だと最後に地下の青い鳥が着いてきてて、地下世界のことをそれで実証できたんだったよね>>4
仕方ないとはいえ実行する前にもっとやるべきことってか調べる必要とかあったよね…>>30
ジラは恐竜パニックモノとしては良作だから…(震え)>>35
コズミック・ホラーはSFに入る…のだろうか…?そういえばこのにゃるさまと合体したBBちゃんが先輩呼びしてる白野さんが出てくるエクストラ系列ってSFって言っても良いのだろうか?
>>36
作品は好きだけど、作家さんの主義思想と自分の主義思想はまったく噛み合わないみたいなことよくあるよね、まぁ作品は好きだから買うんだけど>>37
ディスマンと言うと世にも奇妙な物語のあれが出てくる>>36
ロバートさんの『大宇宙の少年』、『ガニメデの少年』、『スターマン・ジョーンズ』みたいにジュブナイルの要素がある作品すきよあー、まぁロバートさんはちょっと過激な所もあるよね『レッド・プラネット』って本だと若者による革命っていう結構過激なテーマを扱っているし、しかもこれ子供が武器を持って戦う場面があってドロドロした描写もあったから編集に注意されたらしいのよね、ただそこら辺だけ気を付ければロバートさんの本は悪くは無いと思うよ、後この人に限らず本に載ってる過激な部分は「あぁ、この本を読む時は過激な部分に囚われないようにしよう」って自分の考えはしっかり持ちながらも、自分がその本にかけてるバイアスとかに注意してその本の良い部分を見つければ良いからね。うん、そこら辺だけ気をつけて読書を更に楽しもうよ!だぜ?
>>45
そう考えるとちょっと可愛いかも…>>53
ぬら孫?それは興味あるなぁ>>55
なにこの素敵家族(キュン)>>58知識必要だから必然的にそうなるのかな?
アーサー・C・クラークの楽園の泉、普通に良い
>>58
多分野で功績を残した人って良いよね…憧れる>>66
娘さんの名前だったのかーここに来ると頭良くなるね>>64
確かに自分が他の人をどういう目で見てるか自己認識してコミュニケーションする方が円滑にことが進むしねうぇー13の理由見てきたけどえげつないなーあれ
SFかぁ『渇きの海』とか?
>>72
『幼年期の終り』も良い作品だから読んでみて!サー・アーサー・チャールズ・クラークの『イルカの島』『遥かなる地球の歌』『楽園の泉』『星々の揺籃』あたりはおすすめだよSF好きなら是非読むべし!
『マグニチュード10』はいかが?
>>84
ムーンセルからして機械が絶対のルール管理者みたいな感じだからね、こういうの何て言うんだっけ?ディストピア?>>76
アーサー・C・クラークは功績が凄い、残した名作も多いし後世に与えた影響がデカイ!三島由紀夫にも影響与えてたねSFっていうと、地球温暖化の影響で氷が溶けたのと異常気象の影響で海面温度が一気に変化してアメリカ本土を猛吹雪が襲うっていう映画があったよね、あね何て名前だったかな
>>91
イエスロリショタノータッチのルールも守れない獣がぁ…!ここにいたか…!成敗してくれる!(殺意マシマシ)>>90
P5アニメはもうちょっと何とかならなかったですかね…(悲しみ)>>94
監督のローランド・エメリッヒさんってインデペンデンス・デイの人なのか>>98
オイラーってオイラーの定理のオイラーか!>>108
ここのシーンでニタニタしてるの好き>>75
よくあるアメリカ軍部都市伝説好きよ>>93
わかる!良いよねああいうの!
都市伝説の名称のかっこよさったらないよね!
二つ名とか仮の名前みたいなのも大好き!>>112
えぇ…(困惑)とんでもない外道やん!目の前で親殺されてサムスはよくまともに成長できたな…>>120
CFもそうだったけど、原作主人公がメンタル強過ぎるからオリジナルの主人公を立てて原作主人公を大人の立場で絡ませるって方法が上手い見せ方だよね>>117
原作ゲームはアクションでバババって早いシーンが切り替わるからリドリーの凶悪さはこれ程ではないけどこういう本とかになるとそのヤバさを遺憾無く発揮するね、任天堂ヴィランズだと結構好きだよリドリー>>126
パワードスーツを脱いだこの瞬間がたまらなく好き>>82
まぁ確かに似てるかも>>122
からすのパン屋さん良いよね…こんがりやいたパンの色が美味しそうでお腹がすくんだよね>>129
浮世の画家かなSFと言ったら火星の人だなぁバケーションと言えばわかる人もいるかな?
>>118
映画が先でその後書いたやつだね>>121
そこらへん任せられる人に任せてるんかな
成功率高いものな>>136
あずまんが大王の時点でよつばとっぽい要素はあったのね>>139
よつばとのこういう感じ好き>>140
よつばともだけどブラックジョーク多様するな作者さん>>133
火星でジャガイモ栽培するやつだっけ?
地面に地上絵みたいの書いてナサに送るやつ『殺戮に至る病』ヤバいな、本格推理小説すげぇ…
>>138
なんか絵に新海味を感じるそういえば透明人間もSFにはいるのかな
何これ…ナニコレ……(困惑)
>>149
幽霊が透明人間の要素も織り込んでて昔からあるかも
幽霊≒透明人間みたいな>>149
発祥はわからなかったけどWikiに
透明人間ではないにせよ、それに類するものは伝承にも見られ、古くからのあこがれであり得たことがわかる。神や物の怪は往々にして目に見えない存在として描かれるが、それが手を触れられない物ならばそれも当然である。しかし、よりしっかりとした実体を持つものでありながら姿が見えない場合、それは透明になれるから、と言う説明がある。たとえば、コロポックルや天狗は目に見えなくなることが出来て、それは隠れ蓑というものを利用している。したがって、これを奪えば姿が現れるし、人間がこれをかぶればまさしく透明人間になれる。
ってあるし、透明人間の概念は結構まえからあったっぽいねにしても透明人間って凄いね、現実でも透明人間の考え方を応用して透明化の技術が進歩してるみたい映画やテレビ映像上では、クロマキー合成により擬似的に透明人間を作り出すことができるし2003年に東京大学において、背後の風景を投射することで光学迷彩を実現するコートを発表したらしい
透明人間の話は沢山あるけど割と有名な『透明人間の告白』『透明の人間』とかも読んでみて良いかもね
SFと言ったらやっぱハーバート・ジョージ・ウェルズだよなSFの父と言われているのは伊達じゃないよ
自分はSFだとUFO系のSFが好きだな
インデペンデンスデイとか面白かった>>158
息子のジョージ・フィリップ・ウェルズも作家だし動物学者っていう凄い人なんだよね、イギリスでも親子揃って有名宇宙人SFというと未知との遭遇かな
BGMもよく使われるよね>>166
山伏石もなかなか…
あらすじ
平泉の中尊寺から西へ半里ほどいったところに戸河内川(とかないがわ)が流れていた。
ある日のこと、この戸河内川に沿って若い山伏が歩いていると、草履を川に流されて困っていた美しい女に出会った。その女から、自分をおぶって一つ上の琴ヶ滝まで運んでほしいと、頼まれた。山伏が女を背負って琴ヶ滝まで運び、帰ろうとした際に、女の腕にうろこが生えている事に気が付いた。
実は、女は琵琶ヶ滝にすむ妖怪で、琴ヶ滝に住む夫に会いに来たのだと言う。そして、この事を誰かに言うと石にしてしまうぞ、と女から口止めされた。山伏が辺りを見回すと、滝つぼの周りには石にされた村人が並んでいた。
次の日、山伏が村人たちと琴ヶ滝に行き、妖怪を退治するために必死にお経を唱えた。琴ヶ滝の妖怪は退治されて石になったが、山伏の下半身も石になってしまった。動けなくなった山伏は、今度は女の妖怪と対決すべく、村人たちに担がれ琵琶ヶ滝に向った。山伏は琵琶ヶ滝の妖怪を退治するも、妖怪の魔力で自身も全身石になってしまった。
今でも戸河内川の水が枯れた時、淵の底から二つの妖怪たちの石が見られるそうだ。>>161>>168
これの女の人が「見たネェ?」って言うシーンがマジでヤバい、市原悦子さんの演技が凄くて鳥肌がたつ
YouTubehttps://m.youtube.com/watch?v=Yz-OLtstMWA>>161
昔の怖い話ってこういう教訓話とか道徳に関する話が多いから真夜中のおとむらいは結構斬新に感じる
YouTubehttps://m.youtube.com/watch?v=ga0J-EBBUpI>>168
戸河内川の男滝と女滝は今は濁っちゃってる部分もあってこの話がされてた当時ほどの美しさは失われちゃってるっぽいね、自然保護活動とかで綺麗な川になると良いけど>>170
あんまりお下品な言葉は使いたくないのですけれど、このお話のへn特徴的な髪型のお威張りになられていたおじさまがお狂いになられてお亡くなりになった時ほんの少しだけザマァと思ってしまいましたわサモナーさんが行く
型月民なら結構嵌まりそうだと思う>>171
同じく昔の生物であるケツァルコアトルス、あんな大きな生物が空を飛んでいたんだぜ!わくわくするよ!>>180
時をかけるおっさんシリーズはおっさんに唯一怪我をさせることができた海サソリが印象的だった>>185
エーミール「作品タイトルはあっさり忘れただと?そうかそうかつまり君はそういうやつだったんだな」「作品タイトルは少年の日の思い出だ忘れないでくれ」>>176
ブロントサウルスが学説的におかしいってことになって我涙目、想像図が凄いでかくてとてもワクワクしたな…>>180
テリジノサウルスは爪が凄い長いから割と強いよね>>165
安珍清姫はまんがにほんむかしばなしで知った
YouTubehttps://m.youtube.com/watch?v=L5qAilZy8Bo>>164
それこそ2001年宇宙の旅とかその頃のSFブームが後の作品にも影響をあたえてるんじゃないかな?>>156
1700の後半から1800前半あたりに開花した感じかな>>182
元々は別だね本所七不思議としてのおいてけ掘は魚を釣った人間に魚を堀にもどすまでおいてけおいてけって言い続けたり釣りしてる人間を堀に引きずり込むやつ。>>190
猫は子供に自分の狩った獲物をそのまま与えるという、もしかしたら…>>179
怖い話だガクブル((((;゜Д゜)))笑い話で中和しよう
YouTubehttps://m.youtube.com/watch?v=IIKdZK3Huxw>>197
ヘラクレスって名前はここで知りました>>165
分福茶釜が好き、めでたしで終わるのが良い
YouTubehttps://m.youtube.com/watch?v=1FcGC7cis6M>>191
安珍さまぁ~→ヴヴゥゥゥ憎き安珍めぇぇぇ!!>>192
もぐらはわからんけど似たようなネズミとかハムスターは寿命が短いから飼う場合は覚悟が必要>>154
ロボットも元々は小説に登場した概念だったんだっけね、小説とか物語の技術概念が現実で実現してるってのは凄いことだよね いつか宇宙に人が移住する日も来るのかなぁ>>201
カズくんも結構シロウ属性に近いところあったな…
妹のために自分の命を惜しまないとか…>>207
そのネタはヤメロォ!>>207
化野さんなにやってんすか…>>215
そんな小ネタもあったとは…磨っさんの知識恐るべし>>214
人の血の味を覚えた獣はどうたらとかってやつかね>>237いくらなんでも短時間に一人で19枚も貼るのはやりすぎでは?
スマホで見るとずらっと続いていく画像の圧がヤバいんだが。大量に画像貼るの鬱陶しい
>>238
この中に入ったらリップとメルトの手足は普通の手足になるのだろうか?>>166
まんがにほんむかしばなしの怖い話定番と言ったら
YouTubehttps://m.youtube.com/watch?v=VzueLQeGm6E
飯降山>>166
この双子のこの家ももう終わりだものって台詞が子供の頃は本当に怖かった…今もこのシーンでなんとも言えない不安が押し寄せてくる感じがして気味が悪いんだよね…
YouTubehttps://m.youtube.com/watch?v=VbezVaP5myA>>246
なんでこんな上位の魔女さんがさらっとモブ的に登場してるんですかねぇ…マジもんの魔女が出てくるとか聞いてないよ…>>249
座敷わらしに対してこんなにも恐怖を感じたのはこれが初めてだったよ…>>247
戸川幸夫の『高安犬物語』が好きだな!
戸川自身の旧制山形高校時代の実体験をもとにして書いた半自伝的な小説なんだけど、内容は、昭和初期。古生物学に興味を持ち、山形高校の理科に進学した「私」は、絶滅した山犬(日本狼)に興味を持って調べているうちに、学友の尾関から日本犬のことを教えられ、次第に興味をそちらへと移していった。あるとき、尾関は「私」と、日本犬の同好仲間であるパン屋の主人「木村屋」に、高安犬を探しに米沢に行こうと呼びかける。だが、当時すでに混血が進み、純血の高安犬は絶滅に瀕しており、探してもよぼよぼの老犬が2頭見つかっただけであった。尾関と木村屋は捜索を諦めたが、諦め続けずに探し続けた「私」は、和田村で、ついに1頭の高安犬を発見する。それは吉蔵という猟師の飼い犬で、名を「チン」といった。気難し屋の吉蔵は、「私」に全く取り合おうとしなかったが、「私」は熱心に吉蔵のもとに通いつめる。やがてチンがポリップを発症したため、「私」は吉蔵を説得し、手術費用を出す代わり、木村屋がチンを引き取ることになった。だが、山形市に連れて来られたチンは間もなく隙を見て逃げ出し、和田村の吉蔵のもとに戻ってしまう。結局、手術は吉蔵を伴って行われたが、この手術を境にチンは「私」たちにもなつくようになり、結局、木村屋で飼われることになった。>>259
つづき
冬のある日、チンを散歩させていた「私」は、東北闘犬界の横綱である土佐犬「頼光」と出くわす。まだ手術後の傷の癒えない体でありながら、頼光と対決し、ついに倒してしまう。春になってチンは、ダムに落ちた子供を救い出し、このニュースは新聞でも取り上げられた。やがて「私」と尾関は卒業してそれぞれ東北帝大と北大に進学したため、チンとは離れ離れになってしまう。その年の2学期、チンはヒラリヤに倒れ死去する。「私」と木村屋は、最後の高安犬の姿を永久に残そうと、羽前長崎の剥製師に剥製作りを依頼するが、出来上がってきた剥製は無残な出来栄えで、とても後に残せるものではなかった。「私」と木村屋は、故郷の和田村にチンの剥製を葬ることを決意する。
っていう切ない話なんだけど、可哀想な動物と人の話が好きな人にはクリーンヒットするかもだよ!>>256
オオカミも良いよな、同じくキツネも素晴らしいと思うんだがどうかな?スッ…(画像をはる音)>>258
きつねも人間影響で数が少なくなっちゃった時期があったみたい…こういう話を聞くとやるせない気持ちになるなぁ>>188
自分も実物のたぬきを見たいと思ってるんだけどなかなか見られないんだよねぇ…たぬき…もふもふ…>>200
分福茶釜は本当に良い終わりかただった>>165
YouTubehttps://m.youtube.com/watch?v=CX750pwnWi4
これ、たぬきがかわいいし動物の恩返しものって良い話が多いんだよなぁ(涙)こういうたぬきが大好き>>262
キツネの話だとこういう良い話もあるよね、辛いけど良い話だよ 自分たちはご飯をお腹一杯食べられるのが当たり前になってるけどこの当時は当たり前じゃなかった、自分たちが幸せであることに気づく事は大事なことなんだね
YouTubehttps://m.youtube.com/watch?v=JqRjaRfFSMw>>257
大神のアマ公かわいいよね…あのゲームは神ゲー>>261
ブギーポップで言ってたけど騎士道だの武士道なんて当の騎士や武士が戦わなくなってから生まれた概念だしねえ
何かしらの集団・組織に対する美化やイメージの肥大はよくあることよな>>274
タヌキとキツネ良いよね、Twitterで人気になって書籍化されたんだったっけ?>>277
切嗣は手を伸ばすべきだったのだな
それはそれとしてかわいい>>280
お''っ''っ''(胸を抑えながら昇天)>>273
良いよね犬ぞり、一度は乗ってみたいねぇ>>276
かわいい、なんだかんだ良い子だよな>>247
夏目漱石の小説ってやっぱり読みやすいよなぁ>>248
確か日本最古のサイコホラーなんだっけ?>>280
良いなこいつら>>293
ちょっと政治の話を絡ませるけど今の参院選挙を見てみると実は日本人って「敵か味方か」というスタンスで考えるのは好きなんだよなあ。
アンパンマン(https://www.anpanman.jp/index.html)の歌詞の「愛と勇気だけは友達さ」ってつまり大人になると、いろいろ勘ぐってしまうのよね。
実は『誰にも肩入れしない、味方にならない』というスタンスって実は日本人苦手なんだよな。>>274
オオカミが三匹の豚ごっこ…>>269
この時代は本当にこういうことが多かったんだろうなぁ…なに不自由なく生活出来てることに感謝しないと>>249
富や運を支配している存在がいて、それが元いた人間達の所から去っていく=その家没落ってのが怖いよね>>271
思想と実生活とが融合した、そこから生ずる現象――その現象はいつでも人間生活の統一を最も純粋な形に持ち来たすものであるが――として最近に日本において、最も注意せらるべきものは、社会問題の、問題としてまた解決としての運動が、いわゆる学者もしくは思想家の手を離れて、労働者そのものの手に移ろうとしつつあることだ。ここで私のいう労働者とは、社会問題の最も重要な位置を占むべき労働問題の対象たる第四階級と称せられる人々をいうのだ。第四階級のうち特に都会に生活している人々をいうのだ。もし私の考えるところが間違っていなかったら、私が前述した意味の労働者は、従来学者もしくは思想家に自分たちを支配すべきある特権を許していた。学者もしくは思想家の学説なり思想なりが労働者の運命を向上的方向に導いていってくれるものであるとの、いわば迷信を持っていた。そしてそれは一見そう見えたに違いない。なぜならば、実行に先立って議論が戦わされねばならぬ時期にあっては、労働者は極端に口下手べたであったからである。>>299
彼らは知らず識らず代弁者にたよることを余儀なくされた。単に余儀なくされたばかりでなく、それにたよることを最上無二の方法であるとさえ信じていた。学者も思想家も、労働者の先達であり、指導者であるとの誇らしげな無内容な態度から、多少の覚醒はしだしてきて、代弁者にすぎないとの自覚にまでは達しても、なお労働問題の根柢的解決は自分らの手で成就さるべきものだとの覚悟を持っていないではない。労働者はこの覚悟に或る魔術的暗示を受けていた。しかしながらこの迷信からの解放は今成就されんとしつつあるように見える。労働者は人間の生活の改造が、生活に根ざしを持った実行の外でしかないことを知りはじめた。その生活といい、実行といい、それは学者や思想家には全く欠けたものであって、問題解決の当体たる自分たちのみが持っているのだと気づきはじめた。自分たちの現在目前の生活そのままが唯一の思想であるといえばいえるし、また唯一の力であるといえばいえると気づきはじめた。かくして思慮深い労働者は、自分たちの運命を、自分たちの生活とは異なった生活をしながら、しかも自分たちの身の上についてかれこれいうところの人々の手に託する習慣を破ろうとしている。彼らはいわゆる社会運動家、社会学者の動く所には猜疑さいぎの眼を向ける。公けにそれをしないまでも、その心の奥にはかかる態度が動くようになっている。その動き方はまだ幽かすかだ。それゆえ世人一般はもとよりのこと、いちばん早くその事実に気づかねばならぬ学者思想家たち自身すら、心づかずにいるように見える。>>300
しかし心づかなかったら、これは大きな誤謬ごびゅうだといわなければならない。その動き方は未だ幽かであろうとも、その方向に労働者の動きはじめたということは、それは日本にとっては最近に勃発したいかなる事実よりも重大な事実だ。なぜなら、それは当然起こらねばならなかったことが起こりはじめたからだ。いかなる詭弁きべんも拒むことのできない事実の成り行きがそのあるべき道筋を辿たどりはじめたからだ。国家の権威も学問の威光もこれを遮さえぎり停めることはできないだろう。在来の生活様式がこの事実によってどれほどの混乱に陥ろうとも、それだといって、当然現わるべくして現われ出たこの事実をもみ消すことはもうできないだろう。かつて河上肇かわかみはじめ氏とはじめて対面した時(これから述べる話柄は個人的なものだから、ここに公言するのはあるいは失当かもしれないが、ここでは普通の礼儀をしばらく顧みないことにする)、氏の言葉の中に「現代において哲学とか芸術とかにかかわりを持ち、ことに自分が哲学者であるとか、芸術家であるとかいうことに誇りをさえ持っている人に対しては自分は侮蔑ぶべつを感じないではいられない。彼らは現代がいかなる時代であるかを知らないでいる。知っていながら哲学や芸術に没頭しているとすれば、彼らは現代から取り残された、過去に属する無能者である。彼らがもし『自分たちは何事もできないから哲学や芸術をいじくっている。どうかそっと邪魔にならない所に自分たちをいさしてくれ』というのなら、それは許されないかぎりでもない。しかしながら、彼らが十分の自覚と自信をもって哲学なり、芸術なりにたずさわっていると主張するなら、彼らは全く自分の立場を知らないものだ」という意味を言われたのを記憶する。私はその時、すなおに氏の言葉を受け取ることができなかった。そしてこういう意味の言葉をもって答えた。「もし哲学者なり芸術家なりが、過去に属する低能者なら、労働者の生活をしていない学者思想家もまた同様だ。それは要するに五十歩百歩の差にすぎない」。>>301
この私の言葉に対して河上氏はいった、「それはそうだ。だから私は社会問題研究者としてあえて最上の生活にあるとは思わない。私はやはり何者にか申しわけをしながら、自分の仕事に従事しているのだ。……私は元来芸術に対しては深い愛着を持っている。芸術上の仕事をしたら自分としてはさぞ愉快だろうと思うことさえある。しかしながら自分の内部的要求は私をして違った道を採らしている」と。これでここに必要な二人の会話のだいたいはほぼ尽きているのだが、その後また河上氏に対面した時、氏は笑いながら「ある人は私が炬燵こたつにあたりながら物をいっていると評するそうだが、全くそれに違いない。あなたもストーヴにあたりながら物をいってる方だろう」と言われたので、私もそれを全く首肯した。河上氏にはこの会話の当時すでに私とは違った考えを持っていられたのだろうが、その時ごろの私の考えは今の私の考えとはだいぶ相違したものだった。今もし河上氏があの言葉を発せられたら、私はやはり首肯したではあろうけれども、ある異なった意味において首肯したに違いない。今なら私は河上氏の言葉をこう解する、「河上氏も私も程度の差こそあれ、第四階級とは全く異なった圏内に生きている人間だという点においては全く同一だ。河上氏がそうであるごとく、ことに私は第四階級とはなんらの接触点をも持ちえぬのだ。私が第四階級の人々に対してなんらかの暗示を与ええたと考えたら、それは私の謬見びゅうけんであるし、第四階級の人が私の言葉からなんらかの影響を被こうむったと想感したら、それは第四階級の人の誤算である。第四階級者以外の生活と思想とによって育ち上がった私たちは、要するに第四階級以外の人々に対してのみ交渉を持つことができるのだ。ストーヴにあたりながら物をいっているどころではない。全く物などはいっていないのだ」と。>>302
私自身などは物の数にも足らない。たとえばクロポトキンのような立ち優れた人の言説を考えてみてもそうだ。たといクロポトキンの所説が労働者の覚醒と第四階級の世界的勃興とにどれほどの力があったにせよ、クロポトキンが労働者そのものでない以上、彼は労働者を活いき、労働者を考え、労働者を働くことはできなかったのだ。彼が第四階級に与えたと思われるものは第四階級が与えることなしに始めから持っていたものにすぎなかった。いつかは第四階級はそれを発揮すべきであったのだ、それが未熟のうちにクロポトキンによって発揮せられたとすれば、それはかえって悪い結果であるかもしれないのだ。第四階級者はクロポトキンなしにもいつかは動き行くべき所に動いて行くであろうから。そしてその動き方の方がはるかに堅実で自然であろうから。労働者はクロポトキン、マルクスのような思想家をすら必要とはしていないのだ。かえってそれらのものなしに行くことが彼らの独自性と本能力とをより完全に発揮することになるかもしれないのだ。>>303
それならたとえばクロポトキン、マルクスたちのおもな功績はどこにあるかといえば、私の信ずるところによれば、クロポトキンが属していた(クロポトキン自身はそうであることを厭いとったであろうけれども、彼が誕生の必然として属せずにいられなかった)第四階級以外の階級者に対して、ある観念と覚悟とを与えたという点にある。マルクスの資本論でもそうだ。労働者と資本論との間に何のかかわりがあろうか。思想家としてのマルクスの功績は、マルクス同様資本王国の建設に成る大学でも卒業した階級の人々が翫味がんみして自分たちの立場に対して観念の眼を閉じるためであるという点において最も著しいものだ。第四階級者はかかるものの存在なしにでも進むところに進んで行きつつあるのだ。今後第四階級者にも資本王国の余慶が均霑きんてんされて、労働者がクロポトキン、マルクスその他の深奥な生活原理を理解してくるかもしれない。そしてそこから一つの革命が成就されるかもしれない。しかしそんなものが起こったら、私はその革命の本質を疑わずにはいられない。仏国革命が民衆のための革命として勃発したにもかかわらず、ルーソーやヴォルテールなどの思想が縁になって起こった革命であっただけに、その結果は第三階級者の利益に帰して、実際の民衆すなわち第四階級は以前のままの状態で今日まで取り残されてしまった。現在のロシアの現状を見てもこの憾うらみはあるように見える。>>304
彼らは民衆を基礎として最後の革命を起こしたと称しているけれども、ロシアにおける民衆の大多数なる農民は、その恩恵から除外され、もしくはその恩恵に対して風馬牛であるか、敵意を持ってさえいるように報告されている。真個の第四階級から発しない思想もしくは動機によって成就された改造運動は、当初の目的以外の所に行って停止するほかはないだろう。それと同じように、現在の思想家や学者の所説に刺戟しげきされた一つの運動が起こったとしても、そしてその運動を起こす人がみずから第四階級に属すると主張したところが、その人は実際において、第四階級と現在の支配階級との私生子にすぎないだろう。ともかくも第四階級が自分自身の間において考え、動こうとしだしてきたという現象は、思想家や学者に熟慮すべき一つの大きな問題を提供している。それを十分に考えてみることなしに、みずから指導者、啓発者、煽動家せんどうか、頭領をもって任ずる人々は多少笑止な立場に身を置かねばなるまい。第四階級は他階級からの憐憫れんびん、同情、好意を返却し始めた。かかる態度を拒否するのも促進するのも一に繋かかって第四階級自身の意志にある。私は第四階級以外の階級に生まれ、育ち、教育を受けた。だから私は第四階級に対しては無縁の衆生の一人である。私は新興階級者になることが絶対にできないから、ならしてもらおうとも思わない。第四階級のために弁解し、立論し、運動する、そんなばかげきった虚偽もできない。今後私の生活がいかように変わろうとも、私は結局在来の支配階級者の所産であるに相違ないことは、黒人種がいくら石鹸で洗い立てられても、黒人種たるを失わないのと同様であるだろう。したがって私の仕事は第四階級者以外の人々に訴える仕事として始終するほかはあるまい。世に労働文芸というようなものが主張されている。またそれを弁護し、力説する評論家がある。彼らは第四階級以外の階級者が発明した文字と、構想と、表現法とをもって、漫然と労働者の生活なるものを描く。彼らは第四階級以外の階級者が発明した論理と、思想と、検察法とをもって、文芸的作品に臨み、労働文芸としからざるものとを選り分ける。私はそうした態度を採ることは断じてできない。>>294
でも敵か味方かだけで判断するのは大分危険な行為だよね、ネトウヨとかブサヨなんて本来の右翼思想左翼思想から外れた頭のおかしな連中の集まりになっちゃってるし、特にブサヨとかはネトウヨの反対の意見を脊髄反射で言うだけの連中に落ちぶれたし…左翼って右翼を否定するだけの思想とかじゃないんだけどな…あんなの左翼ですらない。こういうとこにも敵か味方かだけで考えることの弊害が出てる。本来の考え方はネットにいる頭のおかしな奴らの考え方とは別物だから右翼左翼って聞いただけで拒否するのは勘弁してな!ちな自分は真ん中よりちょい右よりだけどネットで右自称してる連中の(当然左自称してる連中も)大半は話にすらならないからみんなもああいうのには極力触れないようにしてな。>>310
お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、――その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それは分らない事だが――父の書き残したものを繰拡くりひろげて見る機会があるだろうと思う。その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。時はどんどん移って行く。お前たちの父なる私がその時お前たちにどう映うつるか、それは想像も出来ない事だ。恐らく私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代を嗤わらい憐あわれんでいるように、お前たちも私の古臭い心持を嗤い憐れむのかも知れない。私はお前たちの為ためにそうあらんことを祈っている。お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。お前たちがこの書き物を読んで、私の思想の未熟で頑固がんこなのを嗤う間にも、私たちの愛はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにおかないと私は思っている。だからこの書き物を私はお前たちにあてて書く。>>311
お前たちは去年一人の、たった一人のママを永久に失ってしまった。お前たちは生れると間もなく、生命に一番大事な養分を奪われてしまったのだ。お前達の人生はそこで既に暗い。この間ある雑誌社が「私の母」という小さな感想をかけといって来た時、私は何んの気もなく、「自分の幸福は母が始めから一人で今も生きている事だ」と書いてのけた。そして私の万年筆がそれを書き終えるか終えないに、私はすぐお前たちの事を思った。私の心は悪事でも働いたように痛かった。しかも事実は事実だ。私はその点で幸福だった。お前たちは不幸だ。恢復かいふくの途みちなく不幸だ。不幸なものたちよ。
暁方あけがたの三時からゆるい陣痛が起り出して不安が家中に拡ひろがったのは今から思うと七年前の事だ。それは吹雪ふぶきも吹雪、北海道ですら、滅多めったにはないひどい吹雪の日だった。市街を離れた川沿いの一つ家はけし飛ぶ程揺れ動いて、窓硝子ガラスに吹きつけられた粉雪は、さらぬだに綿雲に閉じられた陽の光を二重に遮さえぎって、夜の暗さがいつまでも部屋から退どかなかった。電燈の消えた薄暗い中で、白いものに包まれたお前たちの母上は、夢心地に呻うめき苦しんだ。私は一人の学生と一人の女中とに手伝われながら、火を起したり、湯を沸かしたり、使を走らせたりした。産婆が雪で真白になってころげこんで来た時は、家中のものが思わずほっと気息いきをついて安堵あんどしたが、昼になっても昼過ぎになっても出産の模様が見えないで、産婆や看護婦の顔に、私だけに見える気遣きづかいの色が見え出すと、私は全く慌あわててしまっていた。書斎に閉じ籠こもって結果を待っていられなくなった。私は産室に降りていって、産婦の両手をしっかり握る役目をした。陣痛が起る度毎たびごとに産婆は叱るように産婦を励まして、一分も早く産を終らせようとした。然し暫しばらくの苦痛の後に、産婦はすぐ又深い眠りに落ちてしまった。鼾いびきさえかいて安々と何事も忘れたように見えた。産婆も、後から駈けつけてくれた医者も、顔を見合わして吐息をつくばかりだった。>>312
医師は昏睡こんすいが来る度毎に何か非常の手段を用いようかと案じているらしかった。
昼過きになると戸外の吹雪は段々鎮しずまっていって、濃い雪雲から漏れる薄日の光が、窓にたまった雪に来てそっと戯たわむれるまでになった。然し産室の中の人々にはますます重い不安の雲が蔽おおい被かぶさった。医師は医師で、産婆は産婆で、私は私で、銘々めいめいの不安に捕われてしまった。その中で何等の危害をも感ぜぬらしく見えるのは、一番恐ろしい運命の淵ふちに臨んでいる産婦と胎児だけだった。二つの生命は昏々こんこんとして死の方へ眠って行った。
丁度三時と思わしい時に――産気がついてから十二時間目に――夕を催す光の中で、最後と思わしい激しい陣痛が起った。肉の眼で恐ろしい夢でも見るように、産婦はかっと瞼まぶたを開いて、あてどもなく一所ひとところを睨にらみながら、苦しげというより、恐ろしげに顔をゆがめた。そして私の上体を自分の胸の上にたくし込んで、背中を羽がいに抱きすくめた。若し私が産婦と同じ程度にいきんでいなかったら、産婦の腕は私の胸を押しつぶすだろうと思う程だった。そこにいる人々の心は思わず総立ちになった。医師と産婆は場所を忘れたように大きな声で産婦を励ました。
ふと産婦の握力がゆるんだのを感じて私は顔を挙あげて見た。産婆の膝許ひざもとには血の気のない嬰児えいじが仰向けに横たえられていた。産婆は毬まりでもつくようにその胸をはげしく敲たたきながら、葡萄酒ぶどうしゅ葡萄酒といっていた。看護婦がそれを持って来た。産婆は顔と言葉とでその酒を盥たらいの中にあけろと命じた。激しい芳芬ほうふんと同時に盥の湯は血のような色に変った。嬰児はその中に浸された。暫くしてかすかな産声うぶごえが気息もつけない緊張の沈黙を破って細く響いた。
大きな天と地との間に一人の母と一人の子とがその刹那せつなに忽如こつじょとして現われ出たのだ。
その時新たな母は私を見て弱々しくほほえんだ。私はそれを見ると何んという事なしに涙が眼がしらに滲にじみ出て来た。それを私はお前たちに何んといっていい現わすべきかを知らない。私の生命全体が涙を私の眼から搾しぼり出したとでもいえばいいのか知らん。その時から生活の諸相が総すべて眼の前で変ってしまった。
↑ここまではまだ幸せだったんだけどね…>>313
お前たちの中うち最初にこの世の光を見たものは、このようにして世の光を見た。二番目も三番目も、生れように難易の差こそあれ、父と母とに与えた不思議な印象に変りはない。
こうして若い夫婦はつぎつぎにお前たち三人の親となった。
私はその頃心の中に色々な問題をあり余る程ほど持っていた。そして始終齷齪あくせくしながら何一つ自分を「満足」に近づけるような仕事をしていなかった。何事も独りで噛かみしめてみる私の性質として、表面うわべには十人並みな生活を生活していながら、私の心はややともすると突き上げて来る不安にいらいらさせられた。ある時は結婚を悔いた。ある時はお前たちの誕生を悪にくんだ。何故自分の生活の旗色をもっと鮮明にしない中に結婚なぞをしたか。妻のある為めに後ろに引きずって行かれねばならぬ重みの幾つかを、何故好んで腰につけたのか。何故二人の肉慾の結果を天からの賜物たまもののように思わねばならぬのか。家庭の建立こんりゅうに費す労力と精力とを自分は他に用うべきではなかったのか。
私は自分の心の乱れからお前たちの母上を屡々しばしば泣かせたり淋しがらせたりした。またお前たちを没義道もぎどうに取りあつかった。お前達が少し執念しゅうねく泣いたりいがんだりする声を聞くと、私は何か残虐な事をしないではいられなかった。原稿紙にでも向っていた時に、お前たちの母上が、小さな家事上の相談を持って来たり、お前たちが泣き騒いだりしたりすると、私は思わず机をたたいて立上ったりした。そして後ではたまらない淋しさに襲われるのを知りぬいていながら、激しい言葉を遣つかったり、厳しい折檻せっかんをお前たちに加えたりした。
然し運命が私の我儘わがままと無理解とを罰する時が来た。どうしてもお前達を子守こもりに任せておけないで、毎晩お前たち三人を自分の枕許や、左右に臥ふせらして、夜通し一人を寝かしつけたり、一人に牛乳を温めてあてがったり、一人に小用をさせたりして、碌々ろくろく熟睡する暇もなく愛の限りを尽したお前たちの母上が、四十一度という恐ろしい熱を出してどっと床についた時の驚きもさる事ではあるが、診察に来てくれた二人の医師が口を揃そろえて、結核の徴候があるといった時には、私は唯ただ訳もなく青くなってしまった。ここから先が重要なポイントなんだけどお母さんが結核にかかっちゃうんだよね…もしよければこの小さきものたちへって話も見てみてね
>>309
というか右は保守、左は革新派と本で読んだんだが今はなぜ右は軍国、左は社会主義になってしまったんだ?>>308
それなら中島敦の山月記が好きだなあ。虎になってしまった李徴の気持ちがなんとなくわかって、今でも内容を忘れられない。あと「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」って言い回しが好きだった。>>309
京アニ関連のツイートとか、参院選の推しの政治家を当選させるためにゴリ押し主張してくるツイート見てると、ツイッターのいいねって、自分が正しいと錯覚させるナルシスト生産機だなぁと思うようになった。
さっきなんとなくサンドイッチマンの復活力読んでたけど、人生って案外なんとかなるんだな
と思うようになったよ。タレントの書く書籍は自己啓発本よりもエッセイのほうが圧倒的に面白いのが多いよね。
興奮してきたな!>>322
流石に1日くらいは待ってあげて!>>308
学校で習った永訣の朝が思いで深い
けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ
銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……
…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる
わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだからわたくしの やさしい いもうとのさいごの たべものを もらっていかうわたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ
ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよこの雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ
(うまれで くるたて
こんどは こたに わりやの ごとばかりで
くるしまなあよに うまれてくる)
おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ>>308
ちょっと好きな作品を載せる
にごりえ
樋口一葉
おい木村さん信しんさん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか、又素通りで二葉ふたばやへ行く氣だらう、押かけて行つて引ずつて來るからさう思ひな、ほんとにお湯ぶうなら歸りに屹度きつとよつてお呉れよ、嘘つ吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立つて馴染らしき突かけ下駄の男をとらへて小言をいふやうな物の言ひぶり、腹も立たずか言譯しながら後刻のちに後刻にと行過るあとを、一寸舌打しながら見送つて後にも無いもんだ來る氣もない癖に、本當に女房もちに成つては仕方がないねと店に向つて閾しきゐをまたぎながら一人言をいへば、高ちやん大分御述懷だね、何もそんなに案じるにも及ぶまい燒棒杭やけぼつくひと何とやら、又よりの戻る事もあるよ、心配しないで呪まじなひでもして待つが宜いさと慰めるやうな朋輩の口振、力ちやんと違つて私しには技倆うでが無いからね、>>328
一人でも逃しては殘念さ、私しのやうな運の惡るい者には呪も何も聞きはしない、今夜も又木戸番か何たら事だ面白くもないと肝癪まぎれに店前みせさきへ腰をかけて駒下駄のうしろでとん/\と土間を蹴るは二十の上を七つか十か引眉毛ひきまゆげに作り生際、白粉べつたりとつけて唇は人喰ふ犬の如く、かくては紅も厭やらしき物なり、お力と呼ばれたるは中肉の背恰好すらりつとして洗ひ髮の大嶋田に新わらのさわやかさ、頸ゑりもと計の白粉も榮えなく見ゆる天然の色白をこれみよがしに乳ちのあたりまで胸くつろげて、烟草すぱ/\長烟管に立膝の無作法さも咎める人のなきこそよけれ、思ひ切つたる大形おほがたの裕衣に引かけ帶は黒繻子と何やらのまがひ物、緋の平ぐけが背の處に見えて言はずと知れし此あたりの姉さま風なり、お高といへるは洋銀の簪かんざしで天神がへしの髷の下を掻きながら思ひ出したやうに力ちやん先刻さつきの手紙お出しかといふ、はあと氣のない返事をして、どうで來るのでは無いけれど、あれもお愛想さと笑つて居るに、大底におしよ卷紙二尋ひろも書いて二枚切手の大封じがお愛想で出來る物かな、そして彼の人は赤坂以來からの馴染ではないか、少しやそつとの紛雜いざがあろうとも縁切れになつて溜る物か、お前の出かた一つで何うでもなるに、ちつとは精を出して取止めるやうに心がけたら宜かろ、あんまり冥利がよくあるまいと言へば御親切に有がたう、御異見は承り置まして私はどうも彼んな奴は虫が好かないから、無き縁とあきらめて下さいと人事のやうにいへば、あきれたものだのと笑つてお前なぞは其我まゝが通るから豪勢さ、此身になつては仕方がないと團扇うちはを取つて足元をあふぎながら、昔しは花よの言ひなし可笑しく、表を通る男を見かけて寄つてお出でと夕ぐれの店先にぎはひぬ。樋口一葉と森鴎外とかは古いタイプの文章の書き方をすることがあるからなかなか読むのに疲れるね
>>328
にごりえって結構えげつない話だった印象がある>>328
丸山福山町の銘酒屋街に住むお力。お力は客の結城朝之助を愛したが、それ以前に馴染みの客源七がいた。源七は蒲団屋を営んでいたが、お力に入れ込んだことで没落し、今は妻子ともども長屋での苦しい生活をおくっている。しかし、それでもお力への未練を断ち切れずにいた。
ある日朝之助が店にやって来た。お力は酒に酔って身の上話を始めるが、朝之助はお力に出世を望むなと言う。
一方源七は仕事もままならなくなり、家計は妻の内職に頼るばかりになっていた。そんななか、子どもがお力から高価な菓子を貰ったことをきっかけに、それを嘆く妻と諍いになり、ついに源七は妻子とも別れてしまう。お力は源七の刃によって、無理とも合意とも知らない心中の片割れとなって死ぬ。
おっかねぇ…>>331
ほーTRPGのマンガとな?すごい興味ある!>>333
山田風太郎はどうなんだろ…三島由紀夫とか大江健三郎は確か近代文学に分類されてたはずだけど…(うろ覚え森鴎外、幸田露伴などから絶賛されたたけくらべ。明治を代表する女流文学。古文が苦手なこともあるが、意味を解せず字を追うだけになってしまった。この10数年後に漱石の「三四郎」が書かれているが別世界である。文を読み取ることも必要であるが、この明治に女性が発信したメッセージに大変意味あり。うーん、次回は現代語訳で挑戦してみたい。
例として書いてみた
※例なのでこれを1にしろという訳では無いです!
ここはでもにchの皆で怪談話をする為のスレです。
洒落怖等の怪談サイト(勿論有料で見れる怪談等の金銭が絡むもの、個人的プライベート的なサイトはNG)からコピペした場合はコピペ元のサイトと題名がある場合は題名も一緒に貼ってください。本から引用する場合、ネタバレ防止の為にも極力新しく出版されたものは控えて、出版されてからしばらく経過したものからの引用をお願いします。実在の人物や会社・地方・団体の侮辱や誹謗中傷になるような内容は控えてください。地名や人物名を載せる場合は頭文字にしたりして誰にも迷惑がかからないようにしてください。(例 裏S区 寺生まれのTさん)自身の体験談や創作怪談も大歓迎です!それらを貼る場合 自分の話だと冒頭に書いておくと評価されやすいかもしれません。自身でサイトを持っている場合は紹介することも許容しますが過剰な宣伝は反感を買うのでご注意を。法にそむく行為は当然禁止します。怪談の投稿自体は一人でいくら行っても構いません!どんどん怪談を投稿していきましょう!それではルールを守ってみんなで楽しく怪談話を楽しみましょう!>>308
やはり樋口一葉は天才ですな。「お前は出世を望むな」「思ひ切ってやれやれ」という結城の言葉と、どうにも持って行きようのないお力の思い、受け答えを見ると、いつの時代も変わらぬ人間の残酷さとやるせなさを感じるし一葉が二十代の若さで、先輩と呼ばれる女性作家もなく「にごりえ」や「十三夜」を書いたことは、にわかに信じがたいですもの やはり天才か。>>295
わかる、あの人は本当に高尚な人
ああいう方に仏教会を統制してほしいな>>342
例の 裏S区 寺生まれのTさんで笑う そなた通じゃな?>>308
少し前に京極夏彦の書楼弔堂を呼んだんだけどちょうど泉鏡花ら明治期の作家が出てて面白かったな。印刷技術が発達してきて、町の人が個人で本を所有出来るようになって、だから個人が書いたものが広く読まれるようになった時代なんだよね。それまで戯曲やお伽草子なんかが主流だったのが海外文化取り入れたことで小説の形態から模索が始まるってのが、それまで幕府が治めて国を尊重する時代だったのが維新が起きて個人が尊重される時代に変わっていく感じで、上手く言えないんだけど文学ってやっぱり人間に深く結びついてて文学史は歴史の縮図だなって思うよ。
今の作家さんは中々やらないけど、あの時代は作品が本人の主義主張、思想そのものだったり実体験を基にしてたりで自身と密接だからか、自分の書いてるものにプライド持ってる人が多くて作品でぶん殴り合ってるのが面白い。というか門下や派閥があったりなんというか芸事に近かったんだなって思う。まあ、今も文芸なんだけど、誰もが書いてもいいけど崇高なものでもあるって感じがしてなんかちょっと特別だよね。
まとまりなく全体について語っちゃったけど、自分は宮沢賢治や佐藤春夫が好きだよ。>>319
泉鏡花は『高野聖』とか好き
山の妖怪とかダークな感じで素敵都会のトム&ソーヤが実写化するのは嬉しいな、はじめて読んだときはまだ内人と創也と同い年で憧れだった。
ワクワクするし、ゾッとする話もあるし、ネタも渋いし、何回読み返しても面白いよ、あれは>>357
実写映画か…どこら辺の話やるか分からないけどとりあえず積ん読だった分を読み切らなきゃ(使命感)
…読み始めてから数年経つけど、未だにファンブックに出てた骸骨さんの正体が分からないんだよな…謎が解ける日はくるのだろうかあー待ちきれないなぁ!早く怖い話がしたいぜ!
>>362
良いんじゃないかな?怪談スレの話してるとき新しくscpスレ立てるんじゃなくてscpの話も怪談スレですることにしようみたいなこと言ってた気がするし>>364
それがグスコーブドリの事故犠牲に繋がるんだろうね>>362スレが建った時に改めて聞いてみるといいかも。
>>308
芥川龍之介の河童とか程ほどに長いのに読みやすかった>>363
小泉八雲が前任の教師で後任の夏目漱石が学生に低評価食らったから小泉八雲にライバル意識みたいなものがあったんだろうね>>366
黒沢明かぁ>>334
トカトントンってすぐ努力を辞めちゃうすぐやる気をなくしちゃうっていう人を揶揄してるのかな>>363
夢十夜良いよ!とても良い作品だから是非みんなにも内容を知ってもらいたいよ!第一夜は教科書とかにも載ってるし割と有名よね
こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐すわっていると、仰向あおむきに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭りんかくの柔やわらかな瓜実うりざね顔がおをその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇くちびるの色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然はっきり云った。自分も確たしかにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗のぞき込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開あけた。大きな潤うるおいのある眼で、長い睫まつげに包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸ひとみの奥に、自分の姿が鮮あざやかに浮かんでいる。
自分は透すき徹とおるほど深く見えるこの黒眼の色沢つやを眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍そばへ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうに※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。
じゃ、私わたしの顔が見えるかいと一心いっしんに聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。
しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋うめて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片かけを墓標はかじるしに置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢あいに来ますから」>>378
自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
自分は黙って首肯うなずいた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍そばに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸ひとみのなかに鮮あざやかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩くずれて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫まつげの間から涙が頬へ垂れた。――もう死ん でいた。
自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑なめらかな縁ふちの鋭するどい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿しめった土の匂においもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
それから星の破片かけの落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間まに、角かどが取れて滑なめらかになったんだろうと思った。抱だき上あげて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。>>379
自分は苔こけの上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石はかいしを眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定かんじょうした。
しばらくするとまた唐紅からくれないの天道てんとうがのそりと上のぼって来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。
自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔こけの生はえた丸い石を眺めて、自分は女に欺だまされたのではなかろうかと思い出した。
すると石の下から斜はすに自分の方へ向いて青い茎くきが伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ゆらぐ茎くきの頂いただきに、心持首を傾かたぶけていた細長い一輪の蕾つぼみが、ふっくらと弁はなびらを開いた。真白な百合ゆりが鼻の先で骨に徹こたえるほど匂った。そこへ遥はるかの上から、ぽたりと露つゆが落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴したたる、白い花弁はなびらに接吻せっぷんした。自分が百合から顔を離す拍子ひょうしに思わず、遠い空を見たら、暁あかつきの星がたった一つ瞬またたいていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。この男女のお話なら知ってる人も多いんじゃないかな?でも夢十夜はこれだけじゃないんだよ!他に九つの不思議な話があるから是非これから見てくれ!自分は次のこれなんかが好きかな
>>382
第二夜
こんな夢を見た。
和尚おしょうの室を退さがって、廊下ろうか伝づたいに自分の部屋へ帰ると行灯あんどうがぼんやり点ともっている。片膝かたひざを座蒲団ざぶとんの上に突いて、灯心を掻かき立てたとき、花のような丁子ちょうじがぱたりと朱塗の台に落ちた。同時に部屋がぱっと明かるくなった。
襖ふすまの画えは蕪村ぶそんの筆である。黒い柳を濃く薄く、遠近おちこちとかいて、寒さむそうな漁夫が笠かさを傾かたぶけて土手の上を通る。床とこには海中文殊かいちゅうもんじゅの軸じくが懸かかっている。焚たき残した線香が暗い方でいまだに臭におっている。広い寺だから森閑しんかんとして、人気ひとけがない。黒い天井てんじょうに差す丸行灯まるあんどうの丸い影が、仰向あおむく途端とたんに生きてるように見えた。
立膝たてひざをしたまま、左の手で座蒲団ざぶとんを捲めくって、右を差し込んで見ると、思った所に、ちゃんとあった。あれば安心だから、蒲団をもとのごとく直なおして、その上にどっかり坐すわった。
お前は侍さむらいである。侍なら悟れぬはずはなかろうと和尚おしょうが云った。そういつまでも悟れぬところをもって見ると、御前は侍ではあるまいと言った。人間の屑くずじゃと言った。ははあ怒ったなと云って笑った。口惜くやしければ悟った証拠を持って来いと云ってぷいと向むこうをむいた。怪けしからん。
隣の広間の床に据すえてある置時計が次の刻ときを打つまでには、きっと悟って見せる。悟った上で、今夜また入室にゅうしつする。そうして和尚の首と悟りと引替ひきかえにしてやる。悟らなければ、和尚の命が取れない。どうしても悟らなければならない。自分は侍である。
もし悟れなければ自刃じじんする。侍が辱はずかしめられて、生きている訳には行かない。綺麗きれいに死ん でしまう。
こう考えた時、自分の手はまた思わず布団ふとんの下へ這入はいった。そうして朱鞘しゅざやの短刀を引ひき摺ずり出した。ぐっと束つかを握って、赤い鞘を向へ払ったら、冷たい刃はが一度に暗い部屋で光った。>>383
凄すごいものが手元から、すうすうと逃げて行くように思われる。そうして、ことごとく切先きっさきへ集まって、殺気さっきを一点に籠こめている。自分はこの鋭い刃が、無念にも針の頭のように縮ちぢめられて、九寸くすん五分ごぶの先へ来てやむをえず尖とがってるのを見て、たちまちぐさりとやりたくなった。身体からだの血が右の手首の方へ流れて来て、握っている束がにちゃにちゃする。唇くちびるが顫ふるえた。
短刀を鞘へ収めて右脇へ引きつけておいて、それから全伽ぜんがを組んだ。――趙州じょうしゅう曰く無むと。無とは何だ。くそ坊主くそぼうずめとはがみをした。
奥歯を強く咬かみ締しめたので、鼻から熱い息が荒く出る。こめかみが釣って痛い。眼は普通の倍も大きく開けてやった。
懸物かけものが見える。行灯が見える。畳たたみが見える。和尚の薬缶頭やかんあたまがありありと見える。鰐口わにぐちを開あいて嘲笑あざわらった声まで聞える。怪けしからん坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん。悟ってやる。無だ、無だと舌の根で念じた。無だと云うのにやっぱり線香の香においがした。何だ線香のくせに。>>384
自分はいきなり拳骨げんこつを固めて自分の頭をいやと云うほど擲なぐった。そうして奥歯をぎりぎりと噛かんだ。両腋りょうわきから汗が出る。背中が棒のようになった。膝ひざの接目つぎめが急に痛くなった。膝が折れたってどうあるものかと思った。けれども痛い。苦しい。無むはなかなか出て来ない。出て来ると思うとすぐ痛くなる。腹が立つ。無念になる。非常に口惜くやしくなる。涙がほろほろ出る。ひと思おもいに身を巨巌おおいわの上にぶつけて、骨も肉もめちゃめちゃに砕くだいてしまいたくなる。
それでも我慢してじっと坐っていた。堪たえがたいほど切ないものを胸に盛いれて忍んでいた。その切ないものが身体からだ中の筋肉を下から持上げて、毛穴から外へ吹き出よう吹き出ようと焦あせるけれども、どこも一面に塞ふさがって、まるで出口がないような残刻極まる状態であった。
そのうちに頭が変になった。行灯あんどうも蕪村ぶそんの画えも、畳も、違棚ちがいだなも有って無いような、無くって有るように見えた。と云って無むはちっとも現前げんぜんしない。ただ好加減いいかげんに坐っていたようである。ところへ忽然こつぜん隣座敷の時計がチーンと鳴り始めた。
はっと思った。右の手をすぐ短刀にかけた。時計が二つ目をチーンと打った。どうかな?夢の中の曖昧な感じが好く出てる不思議な作品じゃないかな?他にもオススメしたいけど時間無いからとりあえずこれで!みなさん良い読書生活を!
>>338
樋口一葉は森鴎外の血縁になるはずだったんだっけ?>>343
怪奇談の部屋>>374
スレンダーマンは有名だねぇ>>386
夢十夜って現代の話にも影響を与えてるのあるよね第三夜なんて今度は殺さないでね系統の怪談の原型になってるんじゃないかって思えるし
こんな夢を見た。
六つになる子供を負おぶってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰つぶれて、青坊主あおぼうずになっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人おとなである。しかも対等たいとうだ。
左右は青田あおたである。路みちは細い。鷺さぎの影が時々闇やみに差す。
「田圃たんぼへかかったね」と背中で云った。
「どうして解る」と顔を後うしろへ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺さぎが鳴くじゃないか」と答えた。
すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。
自分は我子ながら少し怖こわくなった。こんなものを背負しょっていては、この先どうなるか分らない。どこか打遣うっちゃる所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端とたんに、背中で、
「ふふん」と云う声がした。
「何を笑うんだ」
子供は返事をしなかった。ただ
「御父おとっさん、重いかい」と聞いた。
「重かあない」と答えると
「今に重くなるよ」と云った。
自分は黙って森を目標めじるしにあるいて行った。田の中の路が不規則にうねってなかなか思うように出られない。しばらくすると二股ふたまたになった。自分は股またの根に立って、ちょっと休んだ。>>391
「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。
なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ひヶ窪くぼ、右堀田原ほったはらとある。闇やみだのに赤い字が明あきらかに見えた。赤い字は井守いもりの腹のような色であった。
「左が好いだろう」と小僧が命令した。左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へ抛なげかけていた。自分はちょっと躊躇ちゅうちょした。
「遠慮しないでもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。腹の中では、よく盲目めくらのくせに何でも知ってるなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と云った。
「だから負おぶってやるからいいじゃないか」
「負ぶって貰もらってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで馬鹿にされるからいけない」
何だか厭いやになった。早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。
「もう少し行くと解る。――ちょうどこんな晩だったな」と背中で独言ひとりごとのように云っている。
「何が」と際きわどい声を出して聞いた。
「何がって、知ってるじゃないか」と子供は嘲あざけるように答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれども判然はっきりとは分らない。ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分はますます足を早めた。
雨はさっきから降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩もらさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。>>392
「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」
雨の中で小僧の声は判然聞えた。自分は覚えず留った。いつしか森の中へ這入はいっていた。一間いっけんばかり先にある黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。
「御父おとっさん、その杉の根の処だったね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「文化五年辰年たつどしだろう」
なるほど文化五年辰年らしく思われた。
「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」
自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然こつぜんとして頭の中に起った。おれは人殺ひとごろしであったんだなと始めて気がついた途端とたんに、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。>>394
鬼滅の刃ってもうそろそろ佳境にはいるのかな>>380
淡水魚…川の魚…スイミーに出てきた大きな魚ってマグロだったっけ?だとしたら…淡水魚版スイミー?>>373
芥川龍之介の熱狂的ファンだったからね仕方ないねおっとすまん
>>319
別の離れた場所の人が同じ様な内容のおぞましいものを思い付いた…これはつまり、クトゥルフの実在をあらわしているのでは…?(悪電波受信しながら)>>399
ねづこが死んじゃうから先に何かするんじゃない?>>385
妙にリアルというか悪夢の嫌な感じというか
なんとも言えない読後感だな…>>399
まだ謎は沢山残ってるし もうちょい続きそう>>307
河上肇も面白いこと書いてる人だよね
閑人詩話とかの評論が解りやすい
佐藤春夫の車塵集を見ると、「杏花一孤村、流水数間屋、夕陽不見人、※(「特のへん+古」、第4水準2-80-21)牛麦中宿」といふ五絶を、
杏あんず咲くさびしき田舎
川添ひや家をちこち
入日さし人げもなくて
麦畑にねむる牛あり
と訳してあるが、「家をちこち」はどうかと思ふ。原詩にいふ数間の屋は、三間か四間かの小さな一軒の家を指したものに相違なからう。古くは陶淵明の「園田の居に帰る」と題する詩に、「拙を守つて園田に帰る、方宅十余畝、草屋八九間」云々とあるは、人のよく知るところ。また蘇東坡の詩にいふところの「東坡数間の屋」、乃至、陸放翁の詩にいふところの「仕宦五十年、終に熱官を慕はず、年齢とし八十を過ぎ、久く已に一棺を弁ず、廬を結ぶ十余間、身を著けて海の寛きが如し」といふの類、「間」はいづれも室の意であり、草屋八九間、東坡数間屋、結廬十余間は、みな間数まかずを示したものである。杏花一孤村流水数間屋にしても、川添ひに小さな家が一軒あると解して少しも差支ないが、車塵集は何が故に数間の屋を数軒の家と解したのであらうか。専門家がこんなことを誤解する筈もなからうが。
「遠近皆僧刹、西村八九家」、これは郭祥正の詩、「春水六七里、夕陽三四家」、これは陸放翁の詩。これらこそは家をちこちであらう。>>406
移舟泊烟渚 舟を移して烟渚に泊せば、
日暮客愁新 日暮れて客愁新たなり。
野曠天低樹 野曠うして天そら樹に低たれ、
江清月近人 江清うして月人に近し。
小杉放庵の『唐詩及唐詩人』には、この詩の起句を「烟渚に泊す」と読み切つてあり、結句を「月人に近づく」と読ませてある。しかし私は、「烟渚に泊せば」と読み続けたく、また「月人に近し」と、月を静かなものにして置きたい。
なほ野曠天低樹は、舟の中から陸上を望んだ景色であり、そこの樹はひろびろとした野原の果てにある樹なので、遥に人に遠い。(近ければ野曠しと云ふことにならない。)次に江清月近人の方は、舟の中から江を望んだ景色であらう。そして江清しと云ふは、昼間見た時は濁つてゐたのに、今は月光のため浄化されてゐるのであらう。月はもちろん明月で、盥たらひのやうに大きく、ひどく近距離に感じられるのである。私は明月に対し、月が近いとは感じても、月が自分の方へ近づいて来ると感じ〔た〕ことはない。で月人に近しと読み、月人に近づくと読むことを欲しない。>>407
漢詩を日本読みにするのは、簡単なことのやうで、実は読む人の当面の詩に対する理解の程度や、その人の日本文に対する神経の鋭鈍などによつて左右され、自然、同じ詩でも人によつて読み方が違ふ。
佐藤春夫とも関係があったみたいだねあと、河上肇は評論の随筆が多いけど小説も書いてるよ
御萩と七種粥って題名のやつ
私の父方の祖父才一郎が嘉永五年七月一日、僅か六畳一間の栗林家の門部屋で病死した時――栗林家の次男坊に生れた才一郎は、この時すでに河上家の養子となっていたが、養家の瀬兵衛夫婦がまだ生きていた為めに、ずっと栗林家の門部屋で生活していたのである、――彼の残した遺族は三人、うち長男の源介(即ち私の父)は五歳、長女アサ(即ち私の叔母)は三歳、妻イハ(即ち私の祖母)は二十五歳であった。これより十数年にわたり、私の祖母のためには、日夜骨身を惜まざる勤労努力の歳月が続いた。が、その甲斐あって、慶応三年という頃になると、長男源介は、すでに二十歳に達して禄ろく十九石を食はむ一人前の武士となり、長女アサも十八歳の娘盛りになった。
かくて、私のために叔母に当るアサは、この年にめでたく藤村家に嫁いだ。残っている私の家の願書控を見ると、次のようなのがある。>>410
「私妹此度藤村十兵衛世倅規矩太郎妻に所望御座候に付、応二真意一取組の内約仕置候間、其儀被二差免一被レ下候様奉レ願候、此段御組頭兼重重次郎兵衛殿へ被二仰入一、願之通り被二成下一候様、宜敷御取持可レ被レ下候頼存候、已上。
慶応三年丁卯四月十一日 河上源介」
この控には、「四月二十七日被下被差免候」との追記がある。
叔母には子が出来なかった。そして、どういう事情からであったか、明治十年十月七日、彼女は藤村家から離縁になって家に帰った。その時二十八歳である。
しかし二ヶ月後の明治十一年一月五日には、玉井進という人の妻になった。この人は当時山口県庁の役人をしていた人で、叔母もまた山口に行った。
叔母が玉井家に嫁いだ明治十一年には、私の父もすでに三十一歳になっていたが、この年の六月十五日に初めて、同族河上又三郎の次女タヅと結婚した。それが私の母で、文久二年八月誕生の彼女は、当時十七歳、正確に云えば満十五歳十ヶ月であった。
私が生れたのは、その翌年の十月二十日である。従って以上の出来事は、みな私の見ることの出来なかった事実に属する。【人間は人情を食べる動物である。】って文が作中にあるんだけど、これも何か作者の意志がこもってるように感じられて良い言葉だね。作者の考え方が読み取れる小説っていうのもなかなか良いものだね
貧乏物語ってのもあるんだけど河上肇の小説はだいたい実際のことを纏めたかんじのやつかな
この物語は、最初余が、大正五年九月十一日より同年十二月二十六日にわたり、断続して大阪おおさか朝日新聞に載せてもらったそのままのものである。今これを一冊子にまとめて公にせんとするに当たり、余は幾度かこれが訂正増補を企てたれども、筆を入るれば入るるほど統一が破れて襤褸ぼろが出る感じがするので、一二文字の末を改めたほかは、いったん加筆した部分もすべて取り消して、ただ各項の下へ掲載された新聞紙の月日を記入するにとどめておいた。ただし貧乏線を論ずるのちなみに額田ぬかだ博士の著書を批評した一節は、その後同博士の説明を聞くに及び、余にも誤解ありしを免れずと信ずるに至りしがゆえに、これを削除してやむなくその跡へ他の記事を填充てんじゅうし、また英国の食事公給条例のことを述べし項下には、事のついでと思って、この条例の全文を追加しておいた。調べたら、京都帝大の経済学部教授だったんだね河上肇
>>413
自伝的小説なのかな?>>378
夢十夜面白いよね、第四夜がおすすめ
第四夜
広い土間の真中に涼み台のようなものを据すえて、その周囲まわりに小さい床几しょうぎが並べてある。台は黒光りに光っている。片隅かたすみには四角な膳ぜんを前に置いて爺じいさんが一人で酒を飲んでいる。肴さかなは煮しめらしい。
爺さんは酒の加減でなかなか赤くなっている。その上顔中つやつやして皺しわと云うほどのものはどこにも見当らない。ただ白い髯ひげをありたけ生はやしているから年寄としよりと云う事だけはわかる。自分は子供ながら、この爺さんの年はいくつなんだろうと思った。ところへ裏の筧かけひから手桶ておけに水を汲くんで来た神かみさんが、前垂まえだれで手を拭ふきながら、
「御爺さんはいくつかね」と聞いた。爺さんは頬張ほおばった煮〆にしめを呑のみ込んで、
「いくつか忘れたよ」と澄ましていた。神さんは拭いた手を、細い帯の間に挟はさんで横から爺さんの顔を見て立っていた。爺さんは茶碗ちゃわんのような大きなもので酒をぐいと飲んで、そうして、ふうと長い息を白い髯の間から吹き出した。>>416
すると神さんが、
「御爺さんの家うちはどこかね」と聞いた。爺さんは長い息を途中で切って、
「臍へその奥だよ」と云った。神さんは手を細い帯の間に突込つっこんだまま、
「どこへ行くかね」とまた聞いた。すると爺さんが、また茶碗のような大きなもので熱い酒をぐいと飲んで前のような息をふうと吹いて、
「あっちへ行くよ」と云った。
「真直まっすぐかい」と神さんが聞いた時、ふうと吹いた息が、障子しょうじを通り越して柳の下を抜けて、河原かわらの方へ真直まっすぐに行った。
爺さんが表へ出た。自分も後あとから出た。爺さんの腰に小さい瓢箪ひょうたんがぶら下がっている。肩から四角な箱を腋わきの下へ釣るしている。浅黄あさぎの股引ももひきを穿はいて、浅黄の袖無そでなしを着ている。足袋たびだけが黄色い。何だか皮で作った足袋のように見えた。
爺さんが真直に柳の下まで来た。柳の下に子供が三四人いた。爺さんは笑いながら腰から浅黄の手拭てぬぐいを出した。それを肝心綯かんじんよりのように細長く綯よった。そうして地面じびたの真中に置いた。それから手拭の周囲まわりに、大きな丸い輪を描かいた。しまいに肩にかけた箱の中から真鍮しんちゅうで製こしらえた飴屋あめやの笛ふえを出した。
「今にその手拭が蛇へびになるから、見ておろう。見ておろう」と繰返くりかえして云った。
子供は一生懸命に手拭を見ていた。自分も見ていた。>>417
「見ておろう、見ておろう、好いか」と云いながら爺さんが笛を吹いて、輪の上をぐるぐる廻り出した。自分は手拭ばかり見ていた。けれども手拭はいっこう動かなかった。
爺さんは笛をぴいぴい吹いた。そうして輪の上を何遍も廻った。草鞋わらじを爪立つまだてるように、抜足をするように、手拭に遠慮をするように、廻った。怖こわそうにも見えた。面白そうにもあった。
やがて爺さんは笛をぴたりとやめた。そうして、肩に掛けた箱の口を開けて、手拭の首を、ちょいと撮つまんで、ぽっと放ほうり込こんだ。
「こうしておくと、箱の中で蛇へびになる。今に見せてやる。今に見せてやる」と云いながら、爺さんが真直に歩き出した。柳の下を抜けて、細い路を真直に下りて行った。自分は蛇が見たいから、細い道をどこまでも追ついて行った。爺さんは時々「今になる」と云ったり、「蛇になる」と云ったりして歩いて行く。しまいには、
「今になる、蛇になる、
きっとなる、笛が鳴る、」
と唄うたいながら、とうとう河の岸へ出た。橋も舟もないから、ここで休んで箱の中の蛇を見せるだろうと思っていると、爺さんはざぶざぶ河の中へ這入はいり出した。始めは膝ひざくらいの深さであったが、だんだん腰から、胸の方まで水に浸つかって見えなくなる。それでも爺さんは
「深くなる、夜になる、
真直になる」
と唄いながら、どこまでも真直に歩いて行った。そうして髯ひげも顔も頭も頭巾ずきんもまるで見えなくなってしまった。
自分は爺さんが向岸むこうぎしへ上がった時に、蛇を見せるだろうと思って、蘆あしの鳴る所に立って、たった一人いつまでも待っていた。けれども爺さんは、とうとう上がって来なかった。>>418
ここまで紹介したならもう半分まで紹介しちゃえ!
第五夜
こんな夢を見た。
何でもよほど古い事で、神代かみよに近い昔と思われるが、自分が軍いくさをして運悪く敗北まけたために、生擒いけどりになって、敵の大将の前に引き据すえられた。
その頃の人はみんな背が高かった。そうして、みんな長い髯を生はやしていた。革の帯を締しめて、それへ棒のような剣つるぎを釣るしていた。弓は藤蔓ふじづるの太いのをそのまま用いたように見えた。漆うるしも塗ってなければ磨みがきもかけてない。極きわめて素樸そぼくなものであった。
敵の大将は、弓の真中を右の手で握って、その弓を草の上へ突いて、酒甕さかがめを伏せたようなものの上に腰をかけていた。その顔を見ると、鼻の上で、左右の眉まゆが太く接続つながっている。その頃髪剃かみそりと云うものは無論なかった。
自分は虜とりこだから、腰をかける訳に行かない。草の上に胡坐あぐらをかいていた。足には大きな藁沓わらぐつを穿はいていた。この時代の藁沓は深いものであった。立つと膝頭ひざがしらまで来た。その端はしの所は藁わらを少し編残あみのこして、房のように下げて、歩くとばらばら動くようにして、飾りとしていた。
大将は篝火かがりびで自分の顔を見て、死ぬか生きるかと聞いた。これはその頃の習慣で、捕虜とりこにはだれでも一応はこう聞いたものである。生きると答えると降参した意味で、死ぬと云うと屈服くっぷくしないと云う事になる。自分は一言ひとこと死ぬと答えた。大将は草の上に突いていた弓を向うへ抛なげて、腰に釣るした棒のような剣けんをするりと抜きかけた。それへ風に靡なびいた篝火かがりびが横から吹きつけた。自分は右の手を楓かえでのように開いて、掌たなごころを大将の方へ向けて、眼の上へ差し上げた。待てと云う相図である。>>419
大将は太い剣をかちゃりと鞘さやに収めた。
その頃でも恋はあった。自分は死ぬ前に一目思う女に逢あいたいと云った。大将は夜が開けて鶏とりが鳴くまでなら待つと云った。鶏が鳴くまでに女をここへ呼ばなければならない。鶏が鳴いても女が来なければ、自分は逢わずに殺されてしまう。
大将は腰をかけたまま、篝火を眺めている。自分は大きな藁沓わらぐつを組み合わしたまま、草の上で女を待っている。夜はだんだん更ふける。
時々篝火が崩くずれる音がする。崩れるたびに狼狽うろたえたように焔ほのおが大将になだれかかる。真黒な眉まゆの下で、大将の眼がぴかぴかと光っている。すると誰やら来て、新しい枝をたくさん火の中へ抛なげ込こんで行く。しばらくすると、火がぱちぱちと鳴る。暗闇くらやみを弾はじき返かえすような勇ましい音であった。
この時女は、裏の楢ならの木に繋つないである、白い馬を引き出した。鬣たてがみを三度撫なでて高い背にひらりと飛び乗った。鞍くらもない鐙あぶみもない裸馬はだかうまであった。長く白い足で、太腹ふとばらを蹴けると、馬はいっさんに駆かけ出した。誰かが篝りを継つぎ足たしたので、遠くの空が薄明るく見える。馬はこの明るいものを目懸めがけて闇の中を飛んで来る。鼻から火の柱のような息を二本出して飛んで来る。それでも女は細い足でしきりなしに馬の腹を蹴けっている。馬は蹄ひづめの音が宙で鳴るほど早く飛んで来る。女の髪は吹流しのように闇やみの中に尾を曳ひいた。それでもまだ篝かがりのある所まで来られない。
すると真闇まっくらな道の傍はたで、たちまちこけこっこうという鶏の声がした。女は身を空様そらざまに、両手に握った手綱たづなをうんと控ひかえた。馬は前足の蹄ひづめを堅い岩の上に発矢はっしと刻きざみ込んだ。
こけこっこうと鶏にわとりがまた一声ひとこえ鳴いた。
女はあっと云って、緊しめた手綱を一度に緩ゆるめた。馬は諸膝もろひざを折る。乗った人と共に真向まともへ前へのめった。岩の下は深い淵ふちであった。
蹄の跡あとはいまだに岩の上に残っている。鶏の鳴く真似まねをしたものは天探女あまのじゃくである。この蹄の痕あとの岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵かたきである。あと夢十夜には 教科書に載ってるような人も出てくる
>>423
油赤子のあの感じが民話とかの中で地味に気に入ってる累ヶ淵の話って鬼怒川の伝承からはじまって仮名草子本『死霊解脱物語聞書』で紹介された物語を題材にして四代目鶴屋南北が作った『色彩間苅豆』がヒットして累モノってジャンルがうまれて曲亭馬琴が『新累解脱物語』をつくったり三遊亭圓朝が『真景累ヶ淵』って話にして落語で演目としてやったりしてその『真景累ヶ淵』が何回も映画にされてたりしてるのが、物語が時代にのって変化していってる様子が見れて面白いよね。そういえば前にやってた累積-かさね-って映画はこの累モノの派生なのかな?
いま調べたら 2009年と2012年にイブニング新人賞でそれぞれ優秀賞を受賞した松浦だるまの連載デビュー作。松浦が初投稿作『チョコレートミントの初恋』の後、二作目の構想中に得た「キスをしたら顔が入れ替わる」というアイデアを元に、「口紅」というキーアイテムや「美醜」というテーマ、そして怪談『累ヶ淵』と、自身も経験したことのある「演劇」の要素を足していくという形で作られた ってあったからやっぱり参考にはしてたのかな?
>>426
落語の死神とかもあの人の作品だし三遊亭圓朝って落語に新しい要素取り入れたりするの得意だよな>>427
松浦だるまさんが書いたスピンアウト小説の『誘-いざな-』は綾辻行人先生にも褒められてるみたい待っても待ってもなかなか立たない!
もう待ってても立たないならこうしよう!今日の内に誰か怪談スレ立てを立候補しなかったら今日の夜に俺が立てるけどそれでよいな!?その場合スレの名前はいままであがったやつの中から適当に選ぶがそれで良いな!?・型月ファン百物語
・でもにch千夜一夜
・型月民怪談クラブ
・本当にあったでもに怪談
・世にも奇妙なでもに語
現代百物語 型月袋
怪奇蒐集サロン でもに千夜一夜会
怪奇談の部屋
この中から決める?自分で良いスレ名を思い付かない場合この中で一番良いなと思ったものによくてよを入れてください!
1型月ファン百物語2でもにch千夜一夜
3型月民怪談クラブ
4本当にあったでもに怪談
5世にも奇妙なでもに語
6現代百物語 型月袋
7怪奇蒐集サロン でもに千夜一夜会
8怪奇談の部屋
自分で怪談スレの名前が思い付いた場合はこの後の番号をつけてここにはってくれ!必ずこの上のどれかによくてよをつけるかまた別にスレの名前候補を貼るかしてくれな!
怪奇蒐集サロンが入って無い…
9怪奇蒐集サロン
今日の夜までってのはちょっと急過ぎるから、せめて明日の夜までにしないかな?そこまでに集まった票で決めることにしよう
ふぃーあちぃーもう怪談の季節なんだなぁ
>>421
運慶だっけ?仏師の話えっ 怪談スレでクリパスの話して良いんですか!?ヤッター!
>>452
伝承のバリエーションとか色んな類話みたいなのって調べると面白いよね、民俗学とかやってみたいなぁ>>449
エレベーターの壁から骸骨の腕が出てきて乗ってる人の生気をすいとるやつだよね、あれ結構怖かった>>462
李白は綺麗な人間賛歌って感じで杜甫は人間の汚い部分も含めて詠ってるって感じ 友人同士仲は良かったって>>451
マイナーだけどカゲカオとか好きあ 怪談スレの関連部分に貼るのは愛読書と創作談義で良いんだよね?そこだけ気になった
>>471
そうだね創作スレも貼っておこうか。創作スレも貼るわけだから、創作怪談のとこにそれっぽいこと書きたいよね~
>>470
なら自分がやってもよろしいですか?
スレ建ては何回かやったことがあるので>>473
オスカーワイルドの恋人ってこの人ですっけ?おー、たて宜しく
で、結局今日建てるのかい?
>>483
犬僕好きだったなぁ…作者さん…>>468
そうして「夢十夜」が出来た訳か…>>492
しってる!八雲の話で読んだ!>>493
でかした!>>488
立川流だっけ髑髏囲んでセッするってやつ>>467
聖書にはそういった要素は無いんだっけ>>483
犬×僕は転生の使い方が面白かったなぁーって>>463
貴族かぁ なるほど、それで文アルの白樺派はあんな王子様風の服装で統一されてるのかぁ勉強になった!>>491
もう既に何回もスレ建て延期になってるからそろそろ建てた方が良いけど…まだもうちょっと待ってスレについてもう少ししっかりと決めておきたいジレンマ…>>491
そろそろ建てなきゃだけど、明日までなら待っても良いかもだね怪談ってお盆からが本番だしさ?>>491
出来るだけ多くの人に投票してもらうために最後に1日猶予を残すのなら俺は良いと思うよ>>502
あの時代に人の身体のかわりになる機械をつくれるって凄いよね、地味に読書中そこが気になってた、やっぱり日本軍だからなのか…技術がヤバいのは>>491
こうしてスレ建てが遅れていく…いや、実際明日建てるなら1日くらい問題ないと思うけどね>>507
椿姫ってモデルになった人がいたんだね初知り
マリー・デュプレシ(Marie Duplessis、本名:アルフォンシーヌ・プレシ(Rose Alphonsine Plessis)、1824年1月15日 - 1847年2月3日)は、1840年代のフランス・パリのドゥミ・モンド(裏社交界)の花形であった女性。アレクサンドル・デュマ・フィスの小説『椿姫』のヒロインのモデルとして知られる。
ノルマンディーの行商人の娘として生まれ、不幸な少女時代を過ごしたという。パリの裏社交界では、その身分にそぐわぬ気品ある美貌と、読書を好み美しい言葉を話す知性と教養ある女性として、たちまち花形に上り詰める。アレクサンドル・デュマ・フィス、フランツ・リストの他、多くの知識階級や上流の男性達と浮き名を流すが、肺結核に冒され、23歳で死去した。皆さんご意見ありがとうございました!
それじゃ余裕を持って明日建てることにしますねう
>>466
志賀直哉とかもだね、人間は本当に変わらない…>>515
まぁ、日本の夏目漱石みたいなポジションではあると思う>>512
スレの頭につける後ろにつける?>>499
まぁ犬×僕のヤバいの筆頭だな、ショタ化して抱かれてる黒髪の女の子の部屋に上がり込んだり女体化して一緒に風呂入ろうとするげきヤバストーカーではある…>>472
男性用ゴスロリ服ってやつだね、外国じゃ男性が着ることも多くてElder Gothってのもあるらしい>>502
あの知識量は凄い絶対京極先生読書量半端ないよな>>527
と思ったら、もう既に書いてあったのかあつーい(゚A゚;)でも今日やっと怪談スレがたつんだよな!やった!これで沢山涼めるぞー!
>>531
おー沢山涼みなよー 自分もネタを考えとこ>>526
クトゥルフとか案外いろんなとこで見れるよねやっと試験終わったー!長かったー…本当に長かった…でもこれで時間が空いた!とりあえず今日は今まで話さなかった分存分に語らせてもらうぜー!
>>514
ただいまー!今まで学校の試験が忙しかったので空けておりましたー、これから存分に語らせていただきたいと思います!とりあえずまずは『痴人の愛』から語っていくよー!主人公の河合譲治がカフェで働いていた15歳の少女ナオミに魅力を見いだして彼女を育てて将来の自分の妻にする為に教養を与えたりしていくんだけど……優位にたっていたはずの譲治がナオミに籠絡され彼女の手玉にとられて破滅の道に進んでいってしまうって話。
谷崎潤一郎の代表作として知られているね。
この『痴人の愛』の主人公 河合譲治は生真面目で勤めている会社では「君主」いわれていたほどの模範的なサラリーマンなんだけど、彼は結婚をしてなかったんだよね。その理由が彼は結婚に対して(世間の何も知らないような年端も行かない娘を引き取って妻としてはずかしくないほどの教育と作法を身につけさせてやってから結婚する)っていう夢を持ってたからだったわけ。で、ある日彼はカフェで給仕をしていたウェイトレスの卵のナオミと出会い彼女に何か魅力を感じて彼女を引き取って妻にしようと彼女に色々な学を与えていくのさ。最初は譲治がナオミに教える優位的な立場で、彼女に心酔なんてしていなかったけどどんどんと関係が変わっていって…っていうこの感覚がこの話の面白かったところかな。↑あらすじ語る時は なんだけど とか なんだよね みたいな口語体のことばつけないほうが見やすいな
とりあえずこの二人の立場が逆転して、この関係が 教養を与え完璧な妻にする為に育てる男と教養を覚えて 育ててもらう子娘から 自由奔放で誰にとまることもなく自分を求めさせて好きに振る舞う魔性の女 と 彼女に陶酔し彼女の手玉にとられ 魔性の女と思いながらもう彼女から逃がれることが出来なくなっている[お友達]の関係に変化していくのが、物語が動いている感じがして見てて楽しいんだよねここまで見てて「この譲治って男言うほど生真面目かぁ?少女を無垢なうちに引き取って自分好みの女性になるように教育して妻にするって光源氏みたいで何か性癖がヤバい人にしか見えないんだけど」って思ってる人もいるかもしれないけど、譲治は真面目に考えてこの考えに至ってます。彼いわく現実的な理由もあるみたいで
あの時分、若もしも私が結婚したいなら候補者は大勢あったでしょう。田舎者ではありますけれども、体格は頑丈だし、品行は方正だし、そう云っては可笑おかしいが男前も普通であるし、会社の信用もあったのですから、誰でも喜んで世話をしてくれたでしょう。が、実のところ、この「世話をされる」と云う事がイヤなのだから、仕方がありませんでした。たとい如何いかなる美人があっても、一度や二度の見合いでもって、お互の意気や性質が分る筈はずはない。「まあ、あれならば」とか、「ちょっときれいだ」とか云うくらいな、ほんの一時の心持で一生の伴侶はんりょを定めるなんて、そんな馬鹿ばかなことが出来るものじゃない。それから思えばナオミのような少女を家に引き取って、徐おもむろにその成長を見届けてから、気に入ったらば妻に貰うと云う方法が一番いい。何も私は財産家の娘だの、教育のある偉い女が欲しい訳ではないのですから、それで沢山なのでした。
のみならず、一人の少女を友達にして、朝夕彼女の発育のさまを眺めながら、明るく晴れやかに、云わば遊びのような気分で、一軒の家に住むと云うことは、正式の家庭を作るのとは違った、又格別な興味があるように思えました。つまり私とナオミでたわいのないままごとをする。「世帯を持つ」と云うようなシチ面倒臭い意味でなしに、呑気のんきなシンプル・ライフを送る。―――これが私の望みでした。>>541
っていう風に、割と彼的には真面目に考えた結果だってのが見てとれるんだよね、ただこの考え方も甘い考えに見えて ちょっと真剣味が足りなかったように感じるけども。でも当時の価値観らしいお見合いが一般っていう言葉とそれに良い気持ちをもってないって訴えで彼の考え方からアイデンティティーを読みとれて 本の中で彼が命を持って自分の考えで動いてるように見えて何だか高揚するんだよねとにかく二人で生活することになって、この二人は友達のように暮らそうという最初の申し合わせの通りにママゴト遊びのような生活を送りはじめるわけで、稽古事をすることを約束させてゆくゆくはどこへ出ても恥ずかしくないレディーに仕立てたいと譲治は計画したんだけど、彼の期待は次第に裏切られていった。ナオミは話を聞けない子で、彼が、頭も行儀も悪く浪費家で飽きっぽいナオミの欠点を正そうとするとナオミは決まって泣いたりすねたりして結局の最後には教養を学ばせる立場であるはずの彼のほうが謝ることになるの、ここら辺から彼の計画に綻びが見えるね
このお友達として同棲してたはじめのころが一番幸せな時期かもしれなかったのになぁ
年の若いサラリー・マンには決して愉快なことでもなく、いいことでもありません。その点に於いて私の計画は、たしかに一種の思いつきだと信じました。
私がナオミにこのことを話したのは、始めて彼女を知ってから二た月ぐらい立った時分だったでしょう。その間、私は始終、暇さえあればカフエエ・ダイヤモンドへ行って、出来るだけ彼女に親しむ機会を作ったものでした。ナオミは大変活動写真が好きでしたから、公休日には私と一緒に公園の館を覗のぞきに行ったり、その帰りにはちょっとした洋食屋だの、蕎麦屋そばやだのへ寄ったりしました。無口な彼女はそんな場合にもいたって言葉数が少い方で、嬉うれしいのだかつまらないのだか、いつも大概はむっつりとしています。そのくせ私が誘うときは、決して「いや」とは云いませんでした。「ええ、行ってもいいわ」と、素直に答えて、何処へでも附いて行くのでした。
一体私をどう云う人間と思っているのか、どう云うつもりで附いて来るのか、それは分りませんでしたが、まだほんとうの子供なので、彼女は「男」と云う者に疑いの眼を向けようとしない。この「伯父さん」は好きな活動へ連れて行って、ときどき御馳走ちそうをしてくれるから、一緒に遊びに行くのだと云うだけの、極く単純な、無邪気な心持でいるのだろうと、私は想像していました。私にしたって、全く子供のお相手になり、優しい親切な「伯父さん」となる以上のことは、当時の彼女に望みもしなければ、素振りにも見せはしなかったのです。あの時分の、淡い、夢のような月日のことを考え出すと、お伽噺とぎばなしの世界にでも住んでいたようで、もう一度ああ云う罪のない二人になって見たいと、今でも私はそう思わずにはいられません。
「どうだね、ナオミちゃん、よく見えるかね?」
と、活動小屋が満員で、空いた席がない時など、うしろの方に並んで立ちながら、私はよくそんな風に云ったものです。>>544
するとナオミは、
「いいえ、ちっとも見えないわ」
と云いながら一生懸命に背伸びをして、前のお客の首と首の間から覗こうとする。
「そんなにしたって見えやしないよ。この木の上へ乗っかって、私の肩に掴つかまって御覧」
そう云って私は、彼女を下から押し上げてやって、高い手すりの横木の上へ腰をかけさせる。彼女は両足をぶらんぶらんさせながら、片手を私の肩にあてがって、やっと満足したように、息を凝らして絵の方を視みつめる。
「面白いかい?」
と云いえば、
「面白いわ」
と云うだけで、手を叩たたいて愉快がったり、跳び上って喜んだりするようなことはないのですが、賢い犬が遠い物音を聞き澄ましているように、黙って、悧巧そうな眼をパッチリ開いて見物している顔つきは、余程写真が好きなのだと頷うなずかれました。
「ナオミちゃん、お前お腹なかが減ってやしないか?」
そう云っても、
「いいえ、なんにも喰たべたくない」
と云うこともありますが、減っている時は遠慮なく「ええ」と云うのが常でした。そして洋食なら洋食、お蕎麦ならお蕎麦と、尋ねられればハッキリと喰べたい物を答えました。
この場面の二人、親子みたいに見えて そういう観点で見るとこの時点では幸せそうなんだけどね…譲治はナオミを奥さんにするんじゃなくて 養子として娘として育てればまだ幸せな未来もあり得たかもしれないんだけどね…?その後はWikiにもあらすじがあるように
彼が早く家に帰ってみると、玄関の前でナオミが若い男と立ち話をしているのにぶつかった。嫉妬の情にかられた彼はナオミに問いただすが否定される。しかし、ナオミが他にも何人もの男とねんごろなつきあいをしていることに気付き、本当に怒った彼はその男達との一切の付き合いを禁じ、ナオミを外出させないようにした。いったんナオミはおとなしくなったものの、また熊谷という男と密会していることが分かり、彼はとうとうナオミを追い出してしまう。
追い出してしまったものの、彼はナオミが恋しくて仕方がなくなる。無一文で出て行ったナオミを彼は心配でいてもたってもいられなくなったので、手を尽くして探してみると、ダンスホールで知り合った男性の家にとまり、豪華な服装をして遊び歩いていることを知る。これには彼もあきれ果ててしまった。
ナオミのことを忘れようとしている彼のところへ、ある日ふらっとナオミが現れた。荷物がまだ全部彼の家にあるので、それを取りに来たのだという。ナオミはそんなふうにして、ちょいちょい家にやってくるようになった。品物を取りに寄るというのが口実だが、なんとなくぐずぐずいる。日が経つにつれて、ナオミはますます美しくなってくる。あれほど欺かれていながらも、彼はナオミの肉体的な魅力には抵抗が出来ない。ナオミも自分の魅力が彼に与える力を充分に知っていて、次第に彼を虜にしてゆく。ついに彼はナオミに全面降伏をする。
ってなっていくんだけど、譲治がナオミに精神的屈服をしめすまでの家出後のやり取りから なんで譲治がナオミにこんなにも溺れていったのかがしっかりと見てとれるからこれからそこも語ろうかな!読み返して気づいたけど、お友達として一緒に暮らそうって考え始めてたのは譲治が先だったんだね ナオミが先に言い出したんだと勘違いしてた。
それと訂正、さっき親子の関係でいれば譲治は幸せでいれたろうにって書いたけど、 譲治が屈服したあとナオミは彼と結婚してしっかり彼の妻になるんだよね。それで譲治はナオミと夫婦として(彼にとっては)幸せ?な夫婦生活を営むんだけど、この本の最後の方の夫婦として生活するようになったって所を読むと何でもナオミの言いなりになって彼女の奴隷として働くのが彼の普通のことになってるんだよね。(フェイトにもこんな女性居ましたね…)これが自分的には不幸なように感じたけど、これが譲治からしたら幸せみたいだから 彼の幸せ(マゾ的な?)の価値観を否定するのもあれだし、上の意見はこの本を読んだ自分の意見ってことにしておいておくれやすまぁ只彼がマゾヒストになっても彼女を愛した理由はなんとなくわかるんだけどね、一緒に暮らしはじめるときナオミはせんべいみたいな薄い布団で屋根裏で寂しく寝るシーンがあるんだけどこの時譲治が変わりに自分がせんべい布団で寝るって言っても「あたしこれでかまわないのよ」と断ってる所があったり 釘か何かで出血した時たいした怪我じゃないけどしくしく泣いて、運悪く怪我が化膿して毎日湿布みたいなのを取り替えるときにナオミがしくしく泣いてるのをみて妻として育てるはずの譲治が深層心理ではナオミを娘のように認識するようになって そこからナオミのわがままも許容できるようになって最終的にああなっちゃったんじゃないかって思うんだよね。もちろんこれだけが理由じゃないと思ってるしこれはただの譲治の根底にあるマゾヒストに移るきっかけとして ナオミからの被虐(と言えなくもない)を許容した理由くらいに思ってる。ただなんとなくこの二人は夫婦って感じじゃないんだよね
これに加えて、家出後譲治がナオミのことを忘れはじめた頃に少しずつ小物を取りにいって彼を焦らしたり、キスをするっていいながら友達のキスとして唇にふーって息を吹き掛けるだけにしたり、口に香水を含んで息を吹き掛けて「この魔性の女は息さえも甘く芳しい良い香りがするのか」って譲治に思わせたりってのもあるんだろうけどね?まぁそういう色んな要素で譲治は彼女に忠誠を誓うようになったんだろうなって感じました。これが自分の感想(散々魔性の女って書いたけど、俺はナオミのこと苦手だから 彼女の魅力の描写とか本文そのまんま持ってこなくちゃいけなかったし、ナオミに魅力を感じるひとからしたらちょっと物足りない感想かもしれないけど、自分はこう思ったよーって書いてもらえるとこっちは情報交換と価値観の比較が出来て有り難いかな)
よーし、『痴人の愛』の感想終わり!夕飯食べてしばらくたってからまた別の小説について語るねーちょっと雑談スレで質問してきたけど、怪談スレ建てる時名前には【怖い話・不思議な話・都市伝説】ってつけた方がマナー的には良さそうだね
スレ名はでもにch千夜一夜が一番多かったのでそれでお願いします!それでは、全体の準備が出来たようなので、早速今から建ててきます!
建ててきました!承認お願いします!
>>552
外出先から帰ってきたのでタイミング悪くIDが変わってしまったけれど本の虫ですスレ建ての際、本当にご迷惑をおかけしました…
>>555
ご苦労さんあちぃー、いやぁ今年も暑いねぇ…
>>557
DIVEを見て涼むといいよ。
水泳の飛び込み競技のお話。屍人荘の殺人の原作が好きで実写化の予告が出たけども、なんか、ちょっち監督脚本が自分の色を入れすぎというか、、、タイトルロゴもだいぶポップになってるし、、
ただゾンビのことが伏せられてるし、cmは油断させるもので明智の扱いを漫画版よろしく散々表立って宣伝しておいて原作通りの扱い方するなら話は変わるけどもホーンテッドキャンパスシリーズ好きな方、居る?
>>560
探偵ものだと東野圭吾の「容疑者Xの献身」が好きかな。タイトルの意味が最後にわかるんだけど、胸を打たれました。
あと同じ東野圭吾の作品で「名探偵の掟」が探偵ものあるあるネタのお話で面白いのでオススメです。>>560
シャーロック・ホームズ>>564
「痴人の愛」のナオミってなんとなく【運命の女】っぽいよね祝十二国記の新刊発売!!18年ぶり!
無事ゲットしたので帰ったら読む
私自身はアニメ化した辺りから読み始めたから待ってた期間は16年くらいだけどそれでも長かった…【ゆるぼ】現在涙活中なのですが、泣けるオススメ小説ってありますか?ジャンルは日常、SF、ファンタジー等でもなんでも良いです。
>>569
十二国記
しにがみのバラッド。
ブレイブ・ストーリー
獣の奏者
以上、昔読んだときに泣いたやつ。ファンタジーばかりですが『アクアリウムの夜』(稲生 平太郎・著 角川スニーカー文庫)が電子書籍になってたので懐かしくて再読
うむ、やはり面白い
ある放課後、誘い込まれるように友人と入った野外劇場のテント
そこで行われた《カメラ・オブスキュラ》
鏡とレンズを使い、テントの外の景色を映して見せるだけの他愛ない見世物の筈が、
映し出された水族館には、存在しない階段が地下へと続いていたのだった……
徐々に侵食されていく日常
死の予言を告げるこっくりさん、異星からの電波によって狂気に呑まれる友人
戦前に始まり戦中に消えた、異界の蛇を祀る教団と、姿をくらましたその教祖
女友達、教師、図書館の司書、行きつけの喫茶店の店長、
何処とも知れぬところから伸びる因果の糸は、あらゆる所に絡みつく
そして起こる文化祭の惨劇
すべてに決着をつけるため、〈ぼく〉は謎を孕む水族館の地下へと向かうのだが……
正統派なジュヴナイル・ホラーのようでいて元がバリバリの幻想小説、というかオカルト関係の叢書の一つとして出版されたものだけあって意外と濃厚に神秘思想が混入してたりする
(今は無きロサ・ミスティカ叢書。シュタイナーの著作がズラズラ並んでたなあ……)
邪まな霊たちはそこら中にいて、その瞬間にだけ存在し、得物がかかるのを待っているのだTYPE-MOON展に行った人、誰かおる~?
きのこさんちの本棚にどんな書籍が並んでいたのか知りたいぜ>>571
懐かしい
ラジオドラマにもなってたね
中学生の時、友人が録音して貸してくれた記憶がある
図書館で原作小説借りて読んだら、ラジオドラマ版とずいぶん設定が違ってて驚いたけどw田辺剛 著『ラヴクラフト傑作集』シリーズ読破!
クトゥルフ神話の“空気感”を知るにはとても良い作品だった
次は星海社の翻訳小説に挑む所存>>576
幻想的と言うのがよくわからないけど、ホラー小説だと有名なスティーブン・キングの作品はどうでしょうか?>>576
幻想系ホラーといえば、森見登美彦のホラーはおすすめ。「きつねのはなし」とか「夜行」とか、神秘的な世界観が魅力だよなー。>>580
かなり前だから詳しく覚えてないけど、やっぱ島田、綾辻とかの新本格は多かった気がする。十角館とかあったような...
記憶曖昧だから、再開したらまた行きたいな。コロナが流行してる中で今年はやるのかな、と心配してたカドフェスが今年も本屋さんでやるようで嬉しい。 https://kadobun.jp/special/kadofes/
これをきっかけに知らない小説に出会えるから地味に毎年楽しみにしてる。
ナツイチと新潮文庫の100冊はまだ情報ないけど、この2フェアもやってほしいなあ。こんな場所があったんだ
自分は、クレシッダ・コーウェルさんの『ヒックとドラゴン』シリーズが好きですね。主人公のヒックがとにかく良い奴で、友達を大事にするとか、剣の練習を怠らないとか、最後まで諦めないとか、そういう地道な積み重ねが巡り巡ってヒックの力になり、困難を乗り越えて行く様がとても格好良いので、ヒーロー譚が好きな人にオススメ。
タイトル通り、ドラゴンが沢山出て来るんだけど、どのドラゴンも個性爆発していて、ファンタジーに出てくる怪物が好きな人も楽しんで読めると思います。>>580
京極夏彦の作品もありました
前から気になっていたので読んでみましたが、圧倒されました
モチーフの散りばめ方、繋ぎ方が巧みすぎて・・・
分厚さを忘れて読み耽っていましたウォルト・ディズニーの七転八起経営術
ウォルト・ディズニーの伝記に沿って、彼がどう考えてピンチをチャンスに変えたかを説明する、いわゆる自己啓発本。
経営術の方はアドバイスくらいに留めて良いけど、面白いのはウォルト・ディズニー自身の伝記の方。
この伝記の作者はウォルト・ディズニーを完全な聖人君子とは書いてないから、身近な人間に見えて面白くなる。本屋行くと目につく「三体」読んでみたいんだが、中国小説読んだことないし、ハードでそれなりに値段もするから躊躇してしまう。
>>578
いいね、面白そうな本だ!
これってネットでも買えるんだろうか>>580
図録みると富士見ファンタジア文庫の蓬莱学園シリーズあるね
たしかにきのこが好きそうな空気感の作品だから、たぶん読んでるだろうなあとは思ってたけど>>591
書いてて思ったが11/22/63ってハードだったかな。かなり前で忘れてしまった。楽園の烏読み終わったんだが、あの雪哉は何処へ行ってしまったんや。まあ長束が朝廷側にいるから、何か裏があるんだろうけど。
捻りがなさすぎるとも思うが、幽霊は紫苑の宮かな稲生平太郎の描く第二長編『アムネジア』。
大阪の路上で孤独に死んだ老人。しかしその男は戸籍上、数十年前に死ん でいた筈の人間だった。
ふとしたことからその一件の調査を始めた青年が踏み入る非日常の世界。
大規模な倒産劇のたびに裏社会で囁かれる、数千億の資金をいとも簡単に流すという戦後の闇に起源を持つ闇金融の噂。
ひなびた町の片隅にある電器店で、人知れず研究される永久機関。
子供の頃に読んだ名も知れぬ絵本の中で催された、少女と老人と異形の生物とのティータイム。
かつて満州で起き、未解決のまま終わった怪事件。
永遠に繰り返される「物語」とは?
前作『アクアリウムの夜』と比較するとさらに幻想小説の色彩を強めた作品。
時間も空間も意味を失い、幻想と現実が混ざり合う。
始まりと終わりすら曖昧になった果て、主人公は何処へ辿り着くのだろうか。古いが指輪物語、ゲド戦記
ダレン・シャン、デモナータ
デルトラ・クエスト辺りはファンタジー物として凄く好きだった
星新一のショートショートも好き
そして未完だけど葉山透の9S海原育人 『ドラゴンキラー』シリーズ、『蓮華君の不幸な夏休み』
あやめゆう 『ブレイブレイド』
カルロ・ゼン 『ヤキトリ』
ひねくれた主人公が好きなので
そんな主人公の一人称形式ならなお最高>>595
ダレン・シャン好きだったなぁ
子供向けの棚にあったけど大人になった今あれを子供に与えるのなかなか冒険だな…と思う普段小説書いてる人が書いた詩、また詩人が書いた小説が結構好き。前者なら武者小路実篤の『進め、進め』とか、萩原朔太郎の『猫町』とか
『獣の奏者』 上橋菜穂子
戦闘用の獣『闘蛇』の大量死の責任を負って処刑されることになった母をきっかけに動き出す主人公エリンの運命。やがて成長したエリンは「決して人に慣れない」と言われる獣『王獣』と心を通わせたことにより、王国の陰謀に巻き込まれていく……
児童書とは思えないほど世界観が壮大かつ精巧。読むと世界観に一気に引き込まれる。読むたび「エリンはどうなるの…?」とドキドキしてしまう。
ちなみにアニメもあります冲方丁「天地明察」日本の暦を作り直した話
首藤瓜於「脳男」全身マニュアル操作男、脳内麻薬も自由自在…井上雅彦作品はどれもこれも珠玉…
求める者には宝となりて、求めぬ者には路傍の砂粒。
傷む精神(ココロ)に優しく触れる異形、倒し得ぬモノに挑み続ける英傑、麗しきモノ哀しきモノ、されどすべて愛しき面影…
触れて。捕えて。捕食して。
その精髄が血肉と化したなら、同胞と呼ばせてほしい…>>602
「異形コレクション」も再起動して歓喜無量双葉社刊『師匠シリーズ』の刊行が途中で止まったのはマジ残念
まあネットでほとんど読めるんだけど甲田学人の『Missing』シリーズは素晴らしく面白かった
噂、怪談、都市伝説…知識という“情報”によって感染する怪異、生まれついて彼岸に属する異端者、魔術の秘奥を求めて永遠に首を吊り続ける魔術師、そして願いを叶える代わりに破滅を約束する邪神
含蓄深い民俗学的方面からのオカルト考証も興味深い
期待大だった『ノロワレ』が打ち切りになったのはマジ残念>>606
断章のグリムもいいよね、主人公が普通に見えてとんでもねえ狂人だったり
言動がやばげな一応ヒロインやその姉の方がマシとレ・ミゼラブルやノートルダムの鐘で有名なユゴーの書いた『笑う男(人)』
作者自身が最高傑作といったけど日本では戦前の翻訳本しかなくて国会図書館でなんとか読める
主人公は幼い頃に顔を醜くさせられるけど盲目のヒロインと育ての親で貧しくても幸せな暮らしをおくってたところに主人公の秘密が明かされるという話
舞台で興味をもって読んで主人公とヒロインの描写が砂糖を吐きそうになりその分最後の悲劇が際立つ「被疑者アンデルセンの逃亡」読了
アンデルセンが殺人事件の容疑者となって無実を証明するために事件を追う、デンマーク海外ミステリ小説。
アンデルセンや他の登場人物の心理描写や当時のデンマーク社会の描写がするすると入ってくる。映像が頭に浮かぶような地の文。
そしてアンデルセンがどうして「人魚姫」や「マッチ売りの少女」を書くにいたったかまでの経緯がいい。
とても面白かったです。サラ・ピンスカーの「いずれすべては海の中に」
少し不思議な設定で叙情的な物語を描くのが巧みな作家によるSF短編集
義手がコロラドのハイウェイに接続された青年の話とか自宅で誰でもライブのホログラムが楽しめるようになったのにバンでツアーを回り生のライブに拘る女性パンクロッカーとか並行世界のサラ・ピンスカー(作者)が集合したイベントで殺人事件が起きる話とかが入ってる
世界観や結末を語りすぎないのが逆にものすごい魅力になってる塩野七生著『コンスタンティノープルの陥落』読了
タイトル通りコンスタンティノープルの陥落と東ローマ帝国が滅亡する話。ヴェネツィア人やジェノヴァ人の視点からメフメト二世の小姓の視点まで多角的に描写。虎視眈々とコンスタンティノープルを狙うメフメト二世が印象的。防戦する東ローマ帝国に感情移入したくなるけど金と兵士の数と運がなかった。矢野隆の「鬼神」
源頼光と坂田公時ほか頼光四天王、そして大江山の酒呑童子。
都の境の中で生きる人間とその境の外で自由に生きる鬼。
人と鬼の違いに苦悩し続ける頼光と公時、最後まで自分らしく生きて死んだ酒呑童子。
戦闘描写も見どころ。
あと渡辺綱が女性だった。今村晶弘の殺人シリーズ(推理)
伊藤計劃の虐殺器官、ハーモニー(SF)
佐野徹夜の『君は月夜に光輝く』(恋愛)『殺神鬼勧請』シリーズ三部作
不死身のおっさんによる、神ならぬ神の退治劇
生まれてこのかた、一度もケガも病気もしたことがない富士見さん
あるとき都内の病院で健康診断を受けたところ、突如会社から不可解な命令とともに田舎町へ出張させられる
そこで遭遇する怪奇現象
発狂した画家、動く死体、人でなくなった住民、そしてそれに抗うこの国古来の神々の眷族たち
「フジミ、三百年ぶりだな」
実は富士見さんは三百年前にお役目がイヤになって逃げ出した、不死身の神殺しの末裔だったのだ
健康診断でその異常体質が判明し、フジミの血筋を探していた眷族たちに居所を掴まれた富士見さん
「そういえば両親から『地元のかかりつけ医以外には病院に行くな』と言われてたなあ」と思い出すも後の祭り
どうやら現在、地球は宇宙から来る神のごとき存在から侵略を受けていて、ここはその最前線らしい
かくして富士見さんは唯一無二の「神を殺 せる人間」として、この国の神と、宇宙から来た蕃神との抗争に関わっていくのだった
神々の人知を超えた闘争の狭間で右往左往する人間と眷族
ある者は狂い、ある者は破滅し、ある者は求めた居場所を見つけ、ある者は状況を利用する
そして富士見さんの辿りつく結末は…連城三紀彦を愛してるが、好きな作家が没してるってのは虚しいもんだ
芝村裕吏『セルフ・クラフト・ワールド』シリーズ
日本国内のとある企業が開発したMMORPG〈セルフ・クラフト〉。
もとはただのオンラインゲームだったが業績が振るわず、開発チームがテコ入れで自動生成システムを組み込んだ結果、現実の100倍の速度で急激な進化を続ける電子の異世界。
仮想世界の運営ルールは現実世界の物理法則に準拠。なのでその世界で進化を続ける生物たちのユニークな機構は現実世界でも当然応用可能。
結果、日本の産業は〈セルフ・クラフト〉から逆輸入した技術によって世界最高水準に返り咲き、ただのゲームだった〈セルフ・クラフト〉は政府が保護すべき知恵の泉、国家固有の財産となった。
あり得ない飛行能力を持つドローン、超高効率の構造設計…もはや〈セルフ・クラフト〉の生物を解析することで得た技術なしでは日本は国際社会で立ち行かない。
しかしそれは世界に歪みをもたらし、やがて人類の価値感すら変質させていき…。
文庫で全3巻という分量のわりにキャラも情報も濃密で非常に楽しめた。
個人的には「民主主義の信奉者」黒野首相がお気に入り。きのこが影響を受けたと公言する作家の一人、菊池秀行の初期SF
ある地方都市の高校に前触れなく現れた美しい少女
その時から世界が徐々に変質し始める
生徒が描いた風景画は奇怪な景色を映し出し、演奏される音楽はこの世ならぬ音となり、教師や生徒は地球上に存在しない言語を口にする
やがて歪みは拡大し、世界や人々だけでなく有史以来積み重ねられてきた人類史すら塗り替えられていき…
侵食を唯一受けない「高校剣道界の至宝」と呼ばれる主人公
強者を斬り殺し、剣を極めることしか興味がないヤクザの人斬り
元革命闘士で革命への情熱を燻らせ続ける雑誌記者
いろいろ魅力的な登場人物が多いが、出てくる高校生がどいつもこいつも肝が据わり過ぎである外山滋比古の読書論二部作
「読み」の整理学&異本論
「文章の意味を知るために、ただ単語の意味を辞書で引いて並べるだけでは本当の意味はわからない。文章の意味とは、その先にある」
「読書とは、ただ作者が書いた文章を受け取るだけの受動的な娯楽ではない。それを読者自身が理解し、解釈し、さらには作者が意図しない意味を“発見”さえする、創造的な知的活動である」
「読者は本を読むと頭の中に“異本”を作る。読者が理解しているのはこの異本であり、作者の書いたオリジナルの本とは別物で、どれだけ努力しても完全に異本とオリジナルが一致することはない。さらに、読者個々人が作る異本もまた一つとして同じものはない」
など、示唆に富む言説が多い『風の名はアムネジア』 菊池秀行 1983.10刊行 ソノラマ文庫
ある日、一陣の風が吹いた。
そして唐突に、人類はすべての記憶を失った。
言葉も知識も忘れさった人類は、現代にとつぜん放り出された原始人に等しくなり、文明はあっけなく崩壊した。
互いが何者だったかもわからないまま、親が子から食べ物を奪い、恋人同士が物資をめぐって殺しあう。
自分にも、もうそれが何を意味しているのかわからなくなってしまったけれど、なぜかその光景を見て無性に哀しくなった…。
それから三年。
初期の混乱を乗り越えて人類はなんとか生存し、原始社会からやりなおしていたが、滅び去った旧世界の残滓がいくつもの歪みを生み出していた。
そんな壊れた世界を旅する、少年と少女の物語。
主人公ワタルに失われた世界の知識を授けたジョニーは語る。
「証拠はない。確証もない。だけどあれは、まったく予告なし、100パーセントの不意打ちだった。
今の科学で、前もってわからない災いなんてない。それなのに、世界中の科学者も防衛機構も、なに一つ理解できないうちにバラバラになってしまった。
どこかの国が内緒で作った秘密兵器なんてものはない。アメリカの情報機関はその気になれば、どんな国のどんな兵器の設計図だって30分以内に集めてみせるだろう。ソ連だって、イギリスだって、同じことができる。
なら犯人は別にいるんだ。世界最高の科学技術陣をものともせずに、世界を変えてしまった奴らが」
だからワタルはそいつらに教えてやらなければならない。
人類は今までこれだけのものを作ってきた。血と汗を流しながらここまで進歩してきたのだ。なのにこんな目に遭わされて、少しは怒っているんだぞ、と。
型月民が愛読書とかを語る #4
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